・・・そして〔四〕月選挙のときは岡山へ行った。これは私の健康にとって全く無理であった。七月に過労のため血圧が高くなりまた視力があやしくなった。そのため三ヵ月ほど休養した。後半期は講演を全廃した。組織の会合にも欠席することを許して貰った。小説だ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・大阪などでは少女が、政壇演説に出席したという話さえも伝っている。岡山には女子親睦会という政治結社が出来てあったし、仙台には女子自由党というのが組織されていた。その指導者は成田梅子という人であった。 これと略同じ時代、一方に婦人の政治活動・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
某儀今年今月今日切腹して相果候事いかにも唐突の至にて、弥五右衛門奴老耄したるか、乱心したるかと申候者も可有之候えども、決して左様の事には無之候。某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・それから備前国に入り、岡山を経て、下山から六月十六日の夜舟に乗って、いよいよ四国へ渡った。松坂以来九郎右衛門の捜索方鍼に対して、稍不満らしい気色を見せながら、つまりは意志の堅固な、機嫌に浮沈のない叔父に威圧せられて、附いて歩いていた宇平が、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫