・・・一刀三拝式の私小説家の立場から、岡本かの子のわずかに人間の可能性を描こうとする努力のうかがわれる小説をきらいだと断言する上林暁が、近代小説への道に逆行していることは事実で、偶然を書かず虚構を書かず、生活の総決算は書くが生活の可能性は書かず、・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そこで衆人の心持は、せめて画でなりと志村を第一として、岡本の鼻柱を挫いてやれというつもりであった。自分はよくこの消息を解していた。そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしも能く出来ていない時でも校長をはじめ衆人がこれを激賞し、自分の・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・と出した名刺には五号活字で岡本誠夫としてあるばかり、何の肩書もない。受付はそれを受取り急いで二階に上って去ったが間もなく降りて来て「どうぞ此方へ」と案内した、導かれて二階へ上ると、煖炉を熾に燃いていたので、ムッとする程温かい。煖炉の前に・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・「まあ、岡本さん――」 とその友達は、お島がまだ娘でいた頃の姓を可懐しそうに呼んだ。 一汽車待つ間、話して、お島の友達は長野の方へ乗って行った。その日は日曜だった。高瀬は浅黄の股引に、尻端を折り、腰には手拭をぶらさげ、憂鬱な顔の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ いってたの、うちでも岡本さんと。今ごろ陽ちゃんきっとまいっていてよって。少しいい気味だ、うちへ来ない罰よ」「今晩から来てよ、あの婆さんなかなか要領がいい。いざとなったら何にもしてくれる気がないらしい」 ふき子は、「岡本さん」・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・兵士達云々と云っている林氏のロマンチシズムの横溢は、岡本かの子氏が昨今うたわれる和歌の或るものとともに、恐らく「神の子」たちの現実的な感情にとってはすぐ何のことか会得しかねる種類の修辞であろうと思われる。 尾崎士郎氏は名調子の感傷ととも・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ ラジオの国民歌謡は、男は国の守りとして外へ出てゆき、家を守り家業にいそしむこそ女であるもののつとめであるとくりかえし歌っている。岡本かの子さんのような芸術家は、和歌に同じような思想をうたい、女の家居の情を描いておられる。だが、現実の今・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・最もいつわりのなかるべき芸術の仕事をしている女のひとの感情でさえ、たとえば近頃の岡本かの子氏の時局和歌などをよむと、新聞でつかうとおりの粗大な形容詞の内容のまま、それを三十一文字にかいていられる。北原白秋氏は、観念上の「空爆」を万葉調の長歌・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
ふだん近くにいない人々にとって、岡本かの子さんの訃報はまことに突然であった。その朝新聞をひろげたら、かの子さんの見紛うことのない写真が目に入り、私はその刹那何かの事故で怪我でもされたかと感じた。そしたら、それは訃報であって・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・『三田文学』の十一月号には岡本かの子が「百喩経」という小説を書いていた。パリへ行ってきたことまでもある彼女は、「仏教と文芸はむしろ一如相即のものである」ことを主張し、たとえば「愚人食塩喩。塩で味をつけたうまい料理をよそで御馳走になった愚人が・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
出典:青空文庫