・・・この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。 十七日、朝早く起き出でたるに足傷みて立つこと叶わず、心を決して車に乗じて馳せたり。郡山、好地、花巻、黒沢尻、金が崎、水沢、前沢を歴てようやく一ノ関に着す。こ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・三田君は岩手県花巻町の生れで、戸石君は仙台、そうして共に第二高等学校の出身者であった。四年も昔の事であるから、記憶は、はっきりしないのだが、晩秋の一夜、ふたり揃って三鷹の陋屋に訪ねて来て、戸石君は絣の着物にセルの袴、三田君は学生服で、そうし・・・ 太宰治 「散華」
・・・さあいよいよぼくらも岩手県をはなれるのだ。うちではみんなもう寝ただろう。祖母さんはぼくにお守りを借してくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻ってみんなの席の工合や何かを見て行った。一九二六・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そして桃いろの封筒へ入れて、岩手郡西根山、山男殿と上書きをして、三銭の切手をはって、スポンと郵便函へ投げ込みました。「ふん。こうさえしてしまえば、あとはむこうへ届こうが届くまいが、郵便屋の責任だ。」と先生はつぶやきました。 あっはっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・じつにこれは著者の心象中に、このような状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語る・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・アツレキ三十一年二月七日、表、日本岩手県上閉伊郡青笹村字瀬戸二十一番戸伊藤万太の宅、八畳座敷中に故なくして擅に出現して万太の長男千太、八歳を気絶せしめたる件。」「よろしい。わかった。」とネネムの裁判長が云いました。「姓名年齢、その通・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
用事があって、岩手県の盛岡と秋田市とへ数日出かけた。帰途は新潟まわりの汽車で上野へついた。 秋田へ行ったのもはじめてであったし、山形から新潟を通ったのもはじめてであった。夏も末に近い日本海の眺めは美しくて、私をおどろか・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・―― 四月二十四日の日暮れがた、高等へ出された時、自分は岩手訛の主任にしつこく今野を出して手当をさせろと云った。「あなたがたは、いつも家庭の平和とか親子の情とかやかましく云っているのだから、見す見す中耳炎と分っているのに放っといて、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ この間、或る人が岩手県の方へ旅行したら、その町ではバスの運転手が若い娘さんになっていたそうである。その話をきいて私は何かしら新鮮な感動を覚えた。ここには自動車をうごかす女の生活としてこれまでにはなかったものがあらわされている。その地方・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・ 岩手の農民の息子 北海道の鉱山 父 事務所 兄 シキに入る 自分小学を出た位のとき トランセントをかついで山を歩く。 十七の年上京、小学二三年上の友達をたよって。くうに困って親に手紙を書いたら 親類教え・・・ 宮本百合子 「SISIDO」
出典:青空文庫