・・・峰の形峻厳崎嶇たりとぞ。しかも海を去ること一里ばかりに過ぎざるよし。漣の寄する渚に桜貝の敷妙も、雲高き夫人の御手の爪紅の影なるらむ。 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 軍医の頑固な冷たいものが、なお倍加して峻厳になってきた。 ベッドに帰ると、ひとしお彼の心は動揺した。まだ絶望したくはなかった。窓外には、やはり粉雪がさら/\と速いテンポで斜にとんでいた。――どっちへころぶことか! 今は、もうすべて・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・日によっては速記者も、おのずから襟を正したくなるほど峻厳な時局談、あるいは滋味掬すべき人生論、ちょっと笑わせる懐古談、または諷刺、さすがにただならぬ気質の片鱗を見せる事もあるのだが、きょうの話はまるで、どうもいけない。一つとして教えられると・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・謂わば、人生の峻厳は、男ひとりの気ままな狂言を許さなかったのである。虫がよいというものだ。所詮、人は花火になれるものではないのである。事実は知らず、転向という文字には、救いも光明も意味されている筈である。そんなら、かれの場合、これは転向とい・・・ 太宰治 「花燭」
・・・君、神様は、天然の木枯しと同じくらいに、いやなものだよ。峻厳、執拗、わが首すじおさえては、ごぼごぼ沈めて水底這わせ、人の子まさに溺死せんとの刹那、すこし御手ゆるめ、そっと浮かせていただいて陽の目うれしく、ほうと深い溜息、せめて、五年ぶりのこ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・のである。路の両側は蜜柑畑、数十台の自動車に追い抜かれた。私には四方の山々を見あげることさえできなかった。私はけだもののように面を伏せて歩いた。「自然。」の峻厳に息がつまるほどいじめられた。私は、鼻紙のようにくしゃくしゃにもまれ、まるめられ・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ 私、幼くして、峻厳酷烈なる亡父、ならびに長兄に叩きあげられ、私もまた、人間として少し頑迷なるところあり、文学に於いては絶対に利己的なるダンディスムを奉じ、十年来の親友をも、みだりに許さず、死して、なお、旗を右手に歯ぎしりしつつ巷をよろ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 湯浅宮相が女子学習院の卒業式に出席して前例ない峻厳な華族の女の子たちの行紀粛正論をやったということが目立ったぐらいで、敢て道徳問題や親の不取締りとかいう点につき、問題化すものは少く日頃は根掘葉掘りの好きな新聞記者さえ、触れ得ぬ点のある・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・は、要約して言えば、合目的的、峻厳、構造的である。この特徴はニグロ・アフリカのあらゆる文化産物に現われている。アフリカの民族は快活で、多弁で、楽天的であるが、しかしその精神的な表現の様式は、今日も昔も同じくまじめで厳粛である。この様式もいつ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・語の端々までも峻厳な芸術的良心が行きわたっている。はち切れるような力が語の下からのぞいている。短い描写が驚くべき豊富な人生を示唆する。 ところで自分はどうであろう。強調すべき点は気が済むまでも詳しく書こうとする。そのために空虚な語のはい・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫