・・・が、博士は悠然と葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を恢復した。それは医学を超越する自然の神秘を力説したのである。つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を抛棄したのである。 けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・花田 そのためには日ごろの馬鹿正直をなげうって、巧みに権謀術数を用うることを誓う。一同 誓う。花田 ただし尻尾を出しそうな奴は黙って引っ込んでいるほうがいいぜ。それでは俺たち四人は戸部とともちゃんとに最後の告別をしようじゃ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・一ツ目小僧の豆腐買は、流灌頂の野川の縁を、大笠を俯向けて、跣足でちょこちょこと巧みに歩行くなど、仕掛ものになっている。……いかがわしいが、生霊と札の立った就中小さな的に吹当てると、床板ががらりと転覆って、大松蕈を抱いた緋の褌のおかめが、とん・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・「勧工場の店番」「姉さんは?」「ないの」「妹は?」「芸者を引かされるはず」「どこにつとめているの?」「大宮」「引かされてどうするの?」「その人の奥さん」「なアに、妾だろう」「妾なんか、つまりません・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・った泥画であるゆえ、田舎のお大尽や成金やお大名の座敷の床の間を飾るには不向きであるが、悪紙悪墨の中に燦めく奔放無礙の稀有の健腕が金屏風や錦襴表装のピカピカ光った画を睥睨威圧するは、丁度墨染の麻の衣の禅匠が役者のような緋の衣の坊さんを大喝して・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ ちょうど、このとき、どこにいて、狙っていたものか、もう一度、子供が跳ね上がったとき、一羽の白鳥が、巧みに子供をくわえてしまいました。 子供は、驚きました。そして、身をもだえました。しかし、なんのかいもなかったのであります。「ど・・・ 小川未明 「魚と白鳥」
・・・になるまでには、相当話術的工夫が試みられて、仕上げの努力があったものと想像されるが、しかし、小説は「灰色の月」が仕上ったところからはじまるべきで、体験談を素材にして「灰色の月」という小品が出来上ったことは、小説の完成を意味しないのだ。いわば・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 糸につれて唄い出す声は、岩間に咽ぶ水を抑えて、巧みに流す生田の一節、客はまたさらに心を動かしてか、煙草をよそに思わずそなたを見上げぬ。障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりし・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いても到底チョークの色には及ばない。画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。技術の巧拙は問う処でない、掲げて以て衆人の展覧に供すべき製作としては、いかに我慢強い自分も自分の方が・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・こんなとき、いつも雑談の中心となるのは、鋳物工で、鉄瓶造りをやっていた、鼻のひくい、剛胆な大西だった。大西は、郷里のおふくろと、姉が、家主に追立てを喰っている話をくりかえした。「俺れが満洲へ来とったって、俺れの一家を助けるどころか家賃を・・・ 黒島伝治 「前哨」
出典:青空文庫