・・・コーヘンの『純粋意志の倫理学』と、ギヨーの『義務と制裁のない倫理学』とを比較するならば、その個性の対比は文芸作品の個性の差異の如くいちじるしい。所詮倫理学は死せる概念の積木細工ではなくして、活きた人間存在の骨組みある表現なのである。この骨組・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・その差異については、後で触れるが、また、花袋の「第二軍従征日記」を取って見ると、やはりそこには、戦争と攻撃を詩のようだとした讃美が見られるのである。 島崎藤村については、その渡仏中のことを除いては、いまだ、戦争を作品の中に取扱っているの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・諸外国の文芸の発祥地と言われているサロンと、日本のサロンとは、どんな根本的な差異があるか。皇室または王室と直接のつながりのあるサロンと、企業家または官吏につながっているサロンと、どう違うか。君たちのサロンは、猿芝居だというのはどういうわけか・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・そこには、つながりがありながら、また本質的な差異のある、別箇の世界が展開せられている筈である。 私の夢は現実とつながり、現実は夢とつながっているとはいうものの、その空気が、やはり全く違っている。夢の国で流した涙がこの現実につながり、やは・・・ 太宰治 「フォスフォレッスセンス」
・・・一毛に於いて差異はあっても、九牛に於いては、リアルであるというわけなのだ。もっとも私は、あの短篇小説に於いて、兄妹五人と、それから優しく賢明な御母堂に就いてだけ書いたばかりで、祖父ならびに祖母の事は、作品構成の都合上、無礼千万にも割愛してし・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・これは無論笑談であるが彼の真意は男女の特長の差異を認めるにあるらしい。モスコフスキーはこれを敷衍して「婦人は微分学を創成する事は出来なかったが、ライプニッツを創造した。純粋理性批判は産めないが、カントを産む事が出来る」と云っている。 話・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 予報者と被予報者との意志の疎通せざる手近き原因は、予報の指定する範囲と被予報者の利害範囲の大きさの相違と、その公算的不整合を許容する程度の差異に帰すべしと思わる。 最後に卑近なる例を挙げて所説を補わん。木の葉をつたい歩く蟻にとりて・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・一つは材料の差異によるにしても。 最後に一個の希望として、来年あたりから二科会で日本画も募集する事にしたらおもしろいだろうと思う。ただし従来いわゆる日本画の教養を受けた人は出品の資格がないという事にして――これはコントロールがむつかしい・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・研究者によって先天的の手首の個性の差異から来る手つきの相違はあっても、結局ほんとうの音を出せばよいのではないか。 子供を教育するのでも、同じようなことが言われる。これについては今さら言うまでもなく、すでに昔から言いふるされたことである。・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・それが、日照とか夜間放熱とか気温とか風当たりとかそういう単なる気象的条件の差異によってこれらの遅速を説明しようと思っても、なかなか簡単には説明されそうもないような結果であった。また根の周囲の土壌の質や水分供給の差異によるとも思われなかった。・・・ 寺田寅彦 「破片」
出典:青空文庫