・・・ かかる折から、地方巡業の新劇団、女優を主とした帝都の有名なる大一座が、この土地に七日間の興行して、全市の湧くがごとき人気を博した。 極暑の、旱というのに、たといいかなる人気にせよ、湧くの、煮えるのなどは、口にするも暑くるしい。が、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ この一夜の歓楽が満都を羨殺し笑殺し苦殺した数日の後、この夜、某の大臣が名状すべからざる侮辱を某の貴夫人に加えたという奇怪な風説が忽ち帝都を騒がした。続いて新聞の三面子は仔細ありげな報道を伝えた。この夜、猿芝居が終って賓客が散じた頃、鹿・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・諸君は、小説家やジャーナリストの筆先に迷って徒らに帝都の美に憧れてはならない。われわれの国の固有の伝統と文明とは、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、根柢の浅い外来の文化と、たかだか三百年来の江戸趣味の残滓に過ぎな・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・事のさいに多くの人がひなんし得る、大公園や、広場や大きな交通路、その他いろいろの地割をきめた上、こみ入ったところには耐火的のたて物以外にはたてさせないように規定して、だんだんに再建築にかかるのですが、帝都として、すっかりととのった東京が再現・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・けれども、旅行者にとってはのんきそうに見えながらも、帝都の人たちはすべて懸命の努力で生きているのだという事を、この北京の客に説明してやろうかしらと、ふと思った。「緊張の足りないところもあるだろうねえ。」私は思っている事と反対の事を言って・・・ 太宰治 「佳日」
・・・若がえって、こんどは可成りの額の小遣銭を懐中して、さて、君の友人はどこにいるか、制服制帽を貸してくれるような親しい友人はいないか、と少年に問い、渋谷に、ひとりいるという答を得て、ただちに吉祥寺駅から、帝都電鉄に乗り、渋谷に着いた。私は少し狂・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。「若松屋も、眉山が・・・ 太宰治 「眉山」
・・・このようにして、白昼帝都のまん中で衆人環視の中に行なわれた殺人事件は不思議にも司直の追求を受けずまた市人の何人もこれをとがむることなしにそのままに忘却の闇に葬られてしまった。実に不可解な現象と言わなければなるまい。 それはとにかく、実に・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・日ごろからいだいていたこんな考えが昨今カメラをさげて復興帝都の裏河岸を歩いている間にさらにいくらかでも保証されるような気がするのである。 西洋を旅行している間に出会う黄色い顔をした人間が日本人であるかシナ人であるかを判断する一つの簡単な・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ 十 四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
出典:青空文庫