・・・その間に年に一度ぐらい帰省するそのたびにこの少女像は昔のままに同じ間に同じ姿勢のままに合掌して聖母像を見守っていたのである。 父がなくなってから郷里の家をたたんだ時にこれらの「油絵」がどうなったか。不思議なことにはこれに関する自分の記憶・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・少なくも、そういうふうにその時の先生の話を了解したので、急に優勢な援兵を得たように勇気を増して、夏休みに帰省した時にとうとう父を説き伏せ、そうして三年生になると同時に理科に鞍がえをしたのである。それがために後日できそこないの汽船をこしらえて・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・ 宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうるのみか、あらゆる在来の文学中に求め得られない新鮮な美しさを包蔵しうるという事実を発見して驚いたのであった。アーヴィングの「スケッチ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ 暑休に先生から郷里へ帰省中の自分によこされたはがきに、足を投げ出して仰向けに昼寝している人の姿を簡単な墨絵にかいて、それに俳句が一句書いてあった。なんとかで「たぬきの昼寝かな」というのであった。たぬきのような顔にぴんと先生のようなひげ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・それでいつもはきまって帰省する暑中休暇をその年はじめてどこへも行かずにずっと東京で暮らす事になった。長い休暇の所在なさを紛らす一つの仕事として私はヴァイオリンのひとり稽古をやっていた。その以前から持ってはいたが下宿住まいではとかく都合のよく・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・自分が高等学校入学とともに郷里を離れ、そうして夏休みに帰省して見るたびに、目立ってそれが大きくなっているのであった。しかし肝心のもみじ時にはいつでも国にいないので、ついぞ一度もその霜に飽きた盛りの色を見る機会はなかったのである。大学の二年か・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・初めはほんの子供のように思っていたが一夏一夏帰省して来るごとに、どことなくおとなびて来るのが自分の目にもよく見えた。卒業試験の前のある日、灯ともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら栗の花の香は慣れた身にもしむようであった。主・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 昨年母の遺骨を守って帰省した時に、丑女はわざわざ十里の道を会いに来てくれた。その時彼女の髪の毛に著しく白いものが見えて来たのに気がついた。自分の年老いた事を半分自慢らしく半分心細そうに話した。たぶんことしで五十二三歳であったろうと思う・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・客ありその中には田舎娘の浪花に奉公してかしこく浪花の時勢粧に倣い髪かたちも妓家の風情をまなび○伝しげ太夫の心中のうき名をうらやみ故郷の兄弟を恥じいやしむ者ありされどもさすが故園情に堪えずたまたま親里に帰省するあだ者なるべし浪花を出てより親里・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・四月の初にF君が来て、父の病気のために帰省しなくてはならぬから、旅費を貸して貰いたいと云った。幾らいるかと云えば、二十五円あれば好いと云う。私はすぐに出してわたした。もう徼幸者扱にはしなかったのである。この金の事はその後私も口に出さず、君も・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫