・・・ もう一つのを開いて見ると、それはからだの下半が干すばって舎利になっていた。蚕にあるような病菌がやはりこの虫の世界にも入り込んで自然の制裁を行なっているのかと想像された。しかし簔虫の恐ろしい敵はまだほかにあった。 たくさんの袋を外か・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・すると父は崖下へ貸長屋でも建てられて、汚い瓦屋根だの、日に干す洗濯物なぞ見せつけられては困る。買占めて空庭にして置けば閑静でよいと云って居られた。父にはどうして、風に吠え、雨に泣き、夜を包む老樹の姿が恐くないのであろう。角張った父の顔が、時・・・ 永井荷風 「狐」
・・・血の如き葡萄の酒を髑髏形の盃にうけて、縁越すことをゆるさじと、髭の尾まで濡らして呑み干す人の中に、彼は只額を抑えて、斜めに泡を吹くことが多かった。山と盛る鹿の肉に好味の刀を揮う左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて済す折・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・孔子は十二君に歴事したりといい、孟子が斉の宣王に用いられずして梁の恵王を干すも、君に仕うること容易なるものなり。遽伯玉の如き、「邦有レ道則仕、邦無レ道則可二巻而懐一レ之」とて、自国を重んずるの念、はなはだ薄きに似たれども、かつて譏を受けたる・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ 女監守は自分のものを干す物干竿と女囚のとをやかましく別にしていて、うっかり間違えて女監守の竿にかけでもすると、「オイ、オイ! 誰だい? きたならしいじゃないか! 誰が間違えたんだ!」と、すぐはずさせ、その物干竿に石鹸をつけても・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・こんな日に干すのでもあるまい。毎日降るのだから、こうして曝すのであろう。 がらがらと音がして、汽車が紫川の鉄道橋を渡ると、間もなく小倉の停車場に着く。参謀長を始め、大勢の出迎人がある。一同にそこそこに挨拶をして、室町の達見という宿屋には・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫