一 お蓮が本所の横網に囲われたのは、明治二十八年の初冬だった。 妾宅は御蔵橋の川に臨んだ、極く手狭な平家だった。ただ庭先から川向うを見ると、今は両国停車場になっている御竹倉一帯の藪や林が、時雨勝な・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・御主人が御捕われなすった後、御近習は皆逃げ去った事、京極の御屋形や鹿ヶ谷の御山荘も、平家の侍に奪われた事、北の方は去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡のために、その跡を御追いなすった事、今ではあなたの御家族の中でも、たった一人・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・また実際そのお島婆さんの家と云うのが、見たばかりでも気が滅入りそうな、庇の低い平家建で、この頃の天気に色の出た雨落ちの石の青苔からも、菌ぐらいは生えるかと思うぐらい、妙にじめじめしていました。その上隣の荒物屋との境にある、一抱あまりの葉柳が・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 子供たちの群れからはすかいにあたる向こう側の、格子戸立ての平家の軒さきに、牛乳の配達車が一台置いてあった。水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・世に人にたすけのない時、源氏も平家も、取縋るのは神仏である。 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 御存じの通り、稲塚、稲田、粟黍の実る時は、平家の大軍を走らした水鳥ほどの羽音を立てて、畷行き、畔行くものを驚かす、夥多しい群団をなす。鳴子も引板も、半ば――これがための備だと思う。むかしのもの語にも、年月の経る間には、おなじ背戸に、孫も彦・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 一体こうした僻地で、これが源氏の畠でなければ、さしずめ平家の落人が隠れようという処なんで、毎度怪い事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。……お待ち下さい……この浦一円は鰯の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを曳きま・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・町の場末から、橋を一つ渡って、山の麓を、五町ばかり川添に、途中、家のない処を行くので、雪にはいうまでもなく埋もれる。平家づくりで、数奇な亭構えで、筧の流れ、吹上げの清水、藤棚などを景色に、四つ五つ構えてあって、通いは庭下駄で、おも屋から、そ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・負けぬ気の椿岳は業を煮やして、桜痴が弾くなら俺だって弾けると、誰の前でも怯めず臆せずベロンベロンと掻鳴らし、勝手な節をつけては盛んに平家を唸ったものだ。意気込の凄まじいのと態度の物々しいのとに呑まれて、聴かされたものは大抵巧いもんだと出鱈目・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・二相はあたかも福原の栄華に驕る平家の如くに咀われた。 伊井公侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明・・・ 内田魯庵 「四十年前」
出典:青空文庫