・・・会衆の動揺は一時に鎮って座席を持たない平民たちは敷石の上に跪いた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ下った旗や旒を静かになぶった。クララはふと眼をあげて祭壇を見た。花に埋められ香をたきこめられてビザンチン型の古い・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・郵便局員貴下、御心安かれ、受取人の立田織次も、同国の平民である。 さて、局の石段を下りると、広々とした四辻に立った。「さあ、何処へ行こう。」 何処へでも勝手に行くが可、また何処へも行かないでも可い。このまま、今度の帰省中転がって・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「そこへ掛けると平民の子はね。」 辻町は、うっかりいった。「だって、平民だって、人の前で。」「いいえ。」「ええ、どうせ私は平民の子ですから。」 辻町は、その乳のわきの、青い若菜を、ふと思って、覚えず肩を縮めたのである・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・天保の饑饉年にも、普通の平民は余分の米を蓄える事が許されないで箪笥に米を入れて秘したもんだが、淡島屋だけは幕府のお台を作る糊の原料という名目で大びらに米俵を積んで置く事が出来る身分となっていた。が、富は界隈に並ぶ者なく、妻は若くして美くしく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 紅葉も江戸ッ子作者の流れを汲んだが、紅葉は平民の子であっても山の手の士族町に育って大学の空気を吸った。緑雨は士族の家に生れたが、下町に育って江戸の気分にヨリ多く浸っていた。緑雨の最後の死亡自家広告は三馬や一九やその他の江戸作者の死生を・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・この俗曲論は日本の民族性の理解を基礎として立てた説であるが、一つは両親が常磐津が好きで、児供の時から聴き馴れていたのと、最一つは下層階級に味方する持前の平民的傾向から自然にこれらの平民的音曲に対する同感が深かったのであろう。 二葉亭は洋・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・の略称、御出張とは、特に男爵閣下にわれわれ平民ないし、平ザムライどもが申し上げ奉る、言葉である。けれどもが、さし向かえば、些の尊敬をするわけでもない、自他平等、海藻のつくだ煮の品評に余念もありません。「戦争がないと生きている張り合いがな・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ たとい彼らにとって当面には、そして現実身辺には、合理的知性の操練と、科学知の蓄積とが適当で、かつユースフルであろうとも、彼らの宇宙的存在と、霊的の身分に関しては、彼らが本来合理的平民の子ではなくして、神秘的の神の胤であることを耳に吹き・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・を退社し、「平民社」を創立した。そして、十一月十五日「平民新聞」第一号を発行した。これには、毎月欠かさず××の記事が掲載された。三十八年八月には、堺利彦の訳になるトルストイの日露戦争反対論が掲げられている。 かゝる事実は、この戦争が如何・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・父も、母も、ねっからの平民でございます。そのうちに、あなたは、人におだてられて、これの母は華族でして、等とおっしゃるようになるのではないでしょうか。そら恐しい事でございます。先生ほどのおかたでも、あなたの全部のいんちきを見破る事が出来ないと・・・ 太宰治 「きりぎりす」
出典:青空文庫