・・・門を出るとウムブリヤの平野は真暗に遠く広く眼の前に展け亘った。モンテ・ファルコの山は平野から暗い空に崛起しておごそかにこっちを見つめていた。淋しい花嫁は頭巾で深々と顔を隠した二人の男に守られながら、すがりつくようにエホバに祈祷を捧げつつ、星・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・人煙の稀少なること北海道石狩の平野よりも甚し。 と言われたる、遠野郷に、もし旅せんに、そこにありてなおこの言をなし得んか。この臆病もの覚束なきなり。北国にても加賀越中は怪談多く、山国ゆえ、中にも天狗の話は枚挙するに遑あらねど、何ゆえ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・そこは俗にいう瀬戸物町で、高麗橋通りに架った筋違橋のたもとから四ツ橋まで、西横堀川に添うた十五町ほどの間は、ほとんど軒並みに瀬戸物屋で、私の奉公した家は、平野町通りから二三軒南へはいった西側の、佃煮屋の隣りでした。 私は木綿の厚司に白い・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬いている。山の峡間がぼうと照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮して涙ぐん・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・その上卑俗で薄汚い平野の眺めはすぐに私を倦かせてしまった。山や溪が鬩ぎ合いぎ合い」]心を休める余裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまっていることを私は知った。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ帰って来・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・南は山影暗くさかしまに映り、北と東の平野は月光蒼茫としていずれか陸、いずれか水のけじめさえつかず、小舟は西のほうをさして進むのである。 西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる――武蔵野は俗にいう関八州の平野でもない。また道灌が傘の代りに山吹の花を貰ったという歴史的の原でもない。僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。その限界はあたかも国境または村境が山や・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・『その時は日がもうよほど傾いて肥後の平野を立てこめている霧靄が焦げて赤くなってちょうどそこに見える旧噴火口の断崖と同じような色に染まった。円錐形にそびえて高く群峰を抜く九重嶺の裾野の高原数里の枯れ草が一面に夕陽を帯び、空気が水のように澄・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 其後幾日も無くて、河内の平野の城へ突として夜打がかかった。城将桃井兵庫、客将一色何某は打って取られ、城は遊佐河内守等の拠るところとなった。其一党は日に勢を増して、漸く旧威を揮い、大和に潜んで居た畠山尚慶を迎えて之を守立て、河内・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する・・・ 幸田露伴 「蘆声」
出典:青空文庫