・・・やがて小流れに石の橋がかかっていて、片側に交番、片側に平野という料理屋があった。それから公園に近くなるにつれて商店や飲食店が次第に増えて、賑な町になるのであった。 震災の時まで、市川猿之助君が多年住んでいた家はこの通の西側にあった。酉の・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・或日父母に従って馬車を遠く郊外に馳せ、柳と蘆と桑ばかり果しなくつづいている平野の唯中に龍華寺という古刹をたずね、その塔の頂に登った事を思返すと、その日はたしかに旧暦の九月九日、即ち重陽の節句に当っていたのであろう。重陽の節に山に登り、菊の花・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・「播州平野」と「風知草」とは、作者が戦争によって強いられていた五年間の沈黙ののちにかかれ、発表された。主題とすれば、一九三二年以来、作者にとってもっとも書きたくて、書くことの出来ずにいた主題であった。この二つの作品は、日本のすべての人々・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・「播州平野」「二つの庭」「道標」それにつづいて執筆されつつある一九四五年以後の作品は、その作者が、自身の必然に立って民主的文学の課題にこたえようと試みているものである。「風知草」は「播州平野」とともに一九四七年度毎日文化賞をうけた。〔一・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・高千穂峯で最初の火を燃したわれ等の祖先が、どんなに晴れやかさの好きな自然人であったか、またこの素朴な大海原と平野に臨んでどんなに男らしく亢奮したか。その感情が今日の我々にさえ或る同感を以て思いやれる程、日向の日光は明かで生活力がとけ込んでい・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・しかしキュリー夫人はあたりの動乱に断乎として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色を眺めていた。ボルドーには避難して来た人々があふれていて、キュリー夫人では重くて運びきれない百万フランの価格を持・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・「播州平野」をかいた方法で、この複雑でごたついた重荷は運べない。もうひと戻りしよう。「伸子」よりつい一歩先のところから出発しよう。そして、みっともなくても仕方がないから、一歩一歩の発展をふみしめて、「道標」へ進み、快適なテムポであっさりと読・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・ この予期すべき出来事を、桂屋へ知らせに来たのは、ほど遠からぬ平野町に住んでいる太郎兵衛が女房の母であった。この白髪頭の媼の事を桂屋では平野町のおばあ様と言っている。おばあ様とは、桂屋にいる五人の子供がいつもいい物をおみやげに持って来て・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・ それは外郭に連なる山々によって平野から切り離された、急峻な山の斜面である。幾世紀を経て来たかわからない老樹たちは、金剛不壊という言葉に似つかわしいほどなどつしりとした、迷いのない、壮大な力強さをもって、天を目ざして直立している。そうし・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・深山に俗塵を離れて燎乱と咲く桜花が一片散り二片散り清けき谷の流れに浮かびて山をめぐり野を越え茫々たる平野に拡がる。深山桜は初めてありがたい。人の世を超越して宇宙の神秘を直覚したる心霊は衆を化し群を悟らす時初めて完全である。吾人の心は安逸を貪・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫