・・・ その年の暮れ、大雪が降って寒い晩に、からすは一つの厩を見つけて、その戸口にきて、うす暗い内をうかがい、一夜の宿を求めようと入りました。するとそこには白と黒のぶちの肥った牛がねていました。「おまえは、いつかのからすじゃないか。あのと・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・そして夏のころ白い花が咲き、その年の暮れには真っ赤な実が重そうに垂れさがったのであります。 軒端にくるすずめまでが、目を円くして、ほめそやしたほどですから、近所の人たちも、「あんな枯れかかった木が、こんなによくなるとは、生きものは、・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・ 夏の玉章一通、年の暮れの玉章一通、確かに届きぬ。われこれに答えざりしは今の時のついに来たりて、われ進みて文まいらすべきことあるをかねて期しいたればにて深き故あるにあらず。今こそ答えまいらすべし、ただ一言。弁解の言葉連ねたもうな、二郎と・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・――年の暮れが近く、街は騒々しく色々な飾をしていた。処々では、楽隊がブカ/\鳴っていた。 N町から中野へ出ると、あののろい西武電車が何時のまにか複線になって、一旦雨が降ると、こねくり返える道がすっかりアスファルトに変っていた。随分長い間・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ある年の暮れから正月へかけてひどく歯が痛むのを我慢して火燵にあたりながらベルグソンを読んだことがある。その因縁でベルグソンと歯痛とが連想で結びつけられてしまった。彼の「笑い」までが歯痛の連想に浸潤されてしまったのである。 その後偶然にた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 西南戦争に出征していた父が戦乱平定ののち家に帰ったその年の暮れに私が生まれた。その私が中学校の三年生か四年生の時であったからともかくも蓄音機が発明されてから十六七年後の話である。ある日の朝K市の中学校の掲示場の前におおぜいの生徒が集ま・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
年の暮れに珍しくお砂糖の配給があった。一人前三〇グラムを主食三三グラムとひきかえに、十匁を砂糖そのものの配給として配給され、久々であまいもののある正月を迎えた。お米とひきかえではねえ、と云いながら、砂糖を主食代りに配給され・・・ 宮本百合子 「砂糖・健忘症」
・・・ ところがその年の暮れに、急に隣国の兵が攻め寄せて来た。王様は早速、適当な兵を送り出して置いて、いつもの通り瞬く間に勝って来るのを、王宮の暖いお寝間の中で待っておられた。 けれども、どうしたのか、兵は、却って隣国の者に追いまくられ、・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※の国書は江戸へ差し出した。次は上々官金僉知、朴僉知、喬僉知の三人で、これは・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫