・・・いいじゃねえか、お前も女と生れた仕合せにゃ、誰でもまた食わしてくれらあ。それも気がなきゃ、元の万年屋がとこへ還るのさ。」「ばかにおしでない! 今さらどの面下げて亭主のとこへ行かれるかよ。」「まあそう言わねえでさ。俺あ何もお前と夫婦約・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・宇治の螢狩も浄瑠璃の文句にあるといえば、連れて行くし、今が登勢は仕合せの絶頂かもしれなかった。 しかし、それだけにまた何か悲しいことが近いうちに起るのではなかろうかと、あらかじめ諦めておくのは、これはいったいなんとしたことであろう。・・・ 織田作之助 「螢」
・・・お前たちもお互いに仕合せだった……」私たちが挨拶すると、伯母はちょっと目をしばたたきながら言った。 六つ七つの時祖母につれられてきた時分と、庫裡の様子などほとんど変っていないように見えた。お彼岸に雪解けのわるい路を途中花屋に寄ったりして・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何も互にワザと見るというのでも無いが、自然と相見るその時に、夫の眼の中に和らかな心、「お前も平安、おれも平安、お互に仕合せだナア」と、それほど立入った細かい・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・俳句なぞは薄生意気な不良老年の玩物だと思っており、小説稗史などを読むことは罪悪の如く考えており、徒然草をさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・「ほんとに、太郎さんのようなおとなしい人のおよめさんになるものは仕合わせだ。わたしもこれでもっと年でも取ってると――もっとお婆さんだと――台所の手伝いにでも行ってあげるんだけれど。」 それが茶の間に来てのお徳の述懐だ。 茶の間に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「でもそれが私の仕合せになるのです。けっして悪いことにはなりません。どうか私のいうとおりにして下さい。」と、馬はくりかえしてたのみました。ウイリイは仕方なしに、剣をぬいて、馬の首を切り落しました。そしてその首をしっぽのそばにおいて、三べ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・「私は、仕合せというものをさがしに世界中を歩いているのでございます。」と、そのふとった男がこたえました。「一たいあなたの商ばいは何です。」と王子は聞きました。「私にはこれという商ばいはございません。ただ人の出来ないことがたった一・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。 わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ ――ああ、仕合せだ。おまえがいなくなってから、すべてが、よろしく、すべてが、つまり、おのぞみどおりだ。 ――ちぇっ、若いのをおもらいになったんでしょう? ――わるいかね。 ――ええ、わるいわ。あたしが犬の道楽さえ、よしたら・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫