・・・そしてそれがまた幼い子供らの柔かい頭にも感蝕して行くらしい状態を、悲しい気持で傍観していねばならなかった。 永い間、十年近い間、耕吉の放埒から憂目をかけられ、その上三人の子まで産まされている細君は、今さら彼が郷里に引っこむ気になったとい・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そしてその子供が幼い心にも、彼らの諦めなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の付録のようなものが襖の破れの上に貼ってあるのなどが見えた。 それは彼が休暇に田舎へ帰っていたある朝の記憶であった・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・五人の幼い子供達。父母。祖母。――賑かな、しかし寂しい一行は歩み出した。その時から十余年経った。 その五人の兄弟のなかの一人であった彼は再びその大都会へ出て来た。そこで彼は学狡へ通った。知らない町ばかりであった。碁会所。玉突屋。大弓・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・先方が稚い娘であるときにそうしたことがある。が、それにはよほどの熱誠と忍耐とがいるものだ。 が、それにもかかわらずどうしてもうまくいかぬことがある。これが失恋のひとつの場合である。その淋しさはいうまでもない。この寂寥を経験した人は実に多・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 亡くなった母を思い出すたびに、私は幼いときのその乳汁を目に落してくれた母が一番目の前に浮かぶのだ。なつかしい、温い、幾分動物的な感触のまじっている母の愛! 岩波書店主茂雄君のお母さんは信濃の田舎で田畑を耕し岩波君の学資を仕送りした・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・五時頃、まだ戸外は暗いのに、もう起きている。幼い妹なども起される。──麦飯の温いやつが出来ているのだ。僕も皆について起きる。そうすると、日の長いこと。十一月末の昼の短い時でも、晩が来るのがなか/\待遠しい。晩には夜なべに、大根を切ったり、屑・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・ しかし、重いだけ幼い藤二には廻し難かった。彼は、小半日も上り框の板の上でひねっていたが、どうもうまく行かない。「お母あ、独楽の緒を買うて。」藤二は母にせびった。「お父うにきいてみイ。買うてもえいか。」「えい云うた。」 ・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・ 私が早く自分の配偶者を失い、六歳を頭に四人の幼いものをひかえるようになった時から、すでにこんな生活は始まったのである。私はいろいろな人の手に子供らを託してみ、いろいろな場所にも置いてみたが、結局父としての自分が進んでめんどうをみるより・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落ちて、ひどく脳を打って、それからあんな発育の後れたものに成ったとは、これまで彼女が家の人達にも、親戚にも、誰に向ってもそういう風にばかり話して来たが、実はあの不幸な娘のこの世に生れ落ち・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・読んでみると章坊の手らしい幼い片仮名で、フジサンガマタナクと書いてある。「あら」と女の人は恥かしそうに笑ってその紙を剥がす。「章ちゃんがこんな悪戯をするんですわ。嘘ですのよ、みんな」と打消すようにいう。「何の事なんです、これは」・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫