・・・お石は其時世を越えて散々な目に逢って来たのである。幾度か相逢ううちにお石も太十の情に絆された。そうでなくとも稀に逢えば誰でも慇懃な語を交換する。お石に逢う度に其情は太十の腸に浸み透るのであった。瞽女は秋毎に村へ来た。そうしてお石は屹度其仲間・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「出直して来ちゃ気が済まない」「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情過ぎるよ」「そうでもないさ」「だって、今までただの一遍でも僕の云う事を聞いた事がないぜ」「幾度もあるよ」「なに一度もない」「昨日も聞いて・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・アランのいう如く、懐疑的自覚は幾度も繰返されなければならない。 哲学の立場は、見るものなくして見る立場、考えるものなくして考える立場として、そこに自己自身を限定する自覚的原理を把握するのである。それは自己自身によって自己自身を限定する真・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ニイチェの驚異は、一つの思想が幾つも幾つもの裏面をもち、幾度それを逆説的に裏返しても、容易に表面の絵札が現れて来ないことである。我々はニイチェを読み、考へ、漸く今、その正しい理解の底に達し得たと安心する。だがその時、もはやニイチェはそれを切・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・しかも一つ処を幾度も幾度もサロンデッキを逍遙する一等船客のように往復したらしい。 電燈がついた。そして稍々暗くなった。 一方が公園で、一方が南京町になっている単線電車通りの丁字路の処まで私は来た。若し、ここで私をひどく驚かした者が無・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・わたくしこれまで手紙が上げたく思いましたのは、幾度だか知れません。それでいて、いざとなると、いつも大胆に筆を取ることが出来なくなってしまいました。今日は余り大胆な事をいたすことになりましたので、わたくしは自分で自分に呆れています。さて、当り・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・この盃の冷たい縁には幾度か快楽の唇が夢現の境に触れた事であろう。この古い琴の音色には幾度か人の胸に密やかな漣が起った事であろう。この道具のどれかが己をそういう目に遇わせてくれたなら、どんなにか有難く思ったろうに。この木彫や金彫の様々な図は、・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・(米人のわれに負けたるをくやしがりて幾度も仕合を挑むはほとんど国辱この技の我邦に伝わりし来歴は詳かにこれを知らねどもあるいはいう元新橋鉄道局技師米国より帰りてこれを新橋鉄道局の職員間に伝えたるを始とすとかや。(明治十四、五年の頃それよりして・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 犬ころのように、陽子は悌と並んだり、篤介とぶつかったりしながら、小さい悲しみの花火をあげつつ幾度も幾度も春の砂丘を転がり落ちた。 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・父の命を助けて、その代わりに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにしていただきたい、実子でない長太郎だけはお許しくださるようにというだけの事ではあるが、どう書きつづっていいかわからぬので、幾度も書きそこなって、清書のためにもらってあっ・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫