・・・これに反して今時の大多数の絵は、最初には自分の本当の感じから出発するとしても、甚だしいソフィスチケーションの迂路を経由して偶然の導くままに思わぬ効果に巡り会うことを目的にして盲捜りに不毛の曠野を彷徨しているような気がする。青く感じたものは赤・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区の目抜きの場所を曠野にした。これは焼失区域のだいたいの長・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・アメリカの曠野に立つ樫フランスの街道に並ぶ白楊樹地中海の岸辺に見られる橄欖の樹が、それぞれの姿によってそれぞれの国土に特種の風景美を与えているように、これは世界の人が広重の名所絵においてのみ見知っている常磐木の松である。 自分は三門前と・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・一面に茶渋を流した様な曠野が逼らぬ波を描いて続く間に、白金の筋が鮮かに割り込んでいるのは、日毎の様に浅瀬を馬で渡した河であろう。白い流れの際立ちて目を牽くに付けて、夜鴉の城はあの見当だなと見送る。城らしきものは霞の奥に閉じられて眸底には写ら・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・かつて私の或る知人が、シベリヤ鉄道の旅行について話したことは、あの満目荒寥たる無人の曠野を、汽車で幾日も幾日も走った後、漸く停車した沿線の一小駅が、世にも賑わしく繁華な都会に見えるということだった。私の場合の印象もまた、おそらくはそれに類し・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼は最後の光を見せている。あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 曙覧は擬古の歌も詠み、新様の歌も詠み、慷慨激烈の歌も詠み、和暢平遠の歌も詠み、家屋の内をも歌に詠み、広野の外をも歌に詠み、高山彦九郎をも詠み、御魚屋八兵衛をも詠み、侠家の雪も詠み、妓院の雪も詠み、蟻も詠み、虱も詠み、書中の胡蝶も詠み、・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・今シベリアを寂しい曠野と誰が云うことが出来よう。 エカテリンブルグ=スウェルドロフスキーを通過。モスクワ時間と二時間の差。進んだのだ。列車は石造ステーションの二階にあたるような高いところに止る。駅の下、街に二台幌型フォードがあった。列車・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・私の慾しいものは、宝石よりも館よりも、唯一ふき、そよそよと新鮮に、瑞々しく、曠野の果から吹いて来る朝の軽風である。 図らぬ時に、私の田園への郷愁が募った。いつか、檜葉の梢の鳥は去って、庭の踏石の傍に、一羽の雀が降りて居る。先刻、私が屋根・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・大きな西日が鋤をひっぱる馬の背とケシの花とを越えて静かに彼方の地平線に沈もうとする曠野に、耕作機械トラクターが響き出す。うねくる個人耕作の細い畦が消えて、そこに赤旗をかかげた農業機械ステーションを中心とする集団農場が現われた。 重工業の・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫