・・・台のうしろでは二十五六の色の白い男が帽子を真深に被って、「さア張ったり張ったり、十円張って五十円の戻し、針を見ている前で廻すんだから絶対インチキなしだ。度胸のある奴は張ってくれ。さア神戸があいた、神戸はないか」と呶鳴っている。 誰か・・・ 織田作之助 「世相」
・・・また一方ではそれがたいていは僕の気のせいだということは百も承知で、そんな度胸もきめるんです。しかしやっぱり百に一つもしやほんとうの人間ではないかという気がいつでもする。変なものですね。あっはっはは」 話し手の男は自分の話に昂奮を持ちなが・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 然し自分は到底悪人ではない、又度胸のある男でもない。さればこそ母からも附込まれ、遂に母を盗賊にして了い、遂に自分までが賊になってしまったのである。であるから賊になった上で又もや悶き初めるのは当然である。総て自分のような男は皆な同じ行き・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「先生、いい度胸だね。お前たちの来るところではない、とは出かした。呆れてものが言えねえや。他の事とは違う。よその家の金を、あんた、冗談にも程度がありますよ。いままでだって、私たち夫婦は、あんたのために、どれだけ苦労をさせられて来たか、わ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・かず枝は、ふっとこわばった顔になりきょろとプラットフォームを横目で見て、これでおしまいだ。度胸が出たのか、膝の風呂敷包をほどいて雑誌を取り出し、ペエジを繰った。 嘉七は、脚がだるく、胸だけ不快にわくわくして、薬を飲むような気持でウイスキ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひまが無いのだ。……父は、そう心の中で呟き、しかし、それを言い出す自信も無く、また、言い出して母から何か切りかえされたら、ぐうの・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・私も、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人の之までの仕来りなのだ。火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在る・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・いっそ、こうなれば、度胸を据えて、堂々、袴はいて出席し、人が笑ってもなんでも、てんとして名士の振りを装い、大演説でも、ぶってやろうかと、やけくそに似た荒んだ根性も頭をもたげ、世の中は、力だ、飽くまでも勁く押して行けば、やがてその人を笑わなく・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・男の方がたいてい大人しくしおらしくて女の方がたいて活溌で度胸がいいのがこうした群に共通な現象のようである。神代以来の現象かもしれない。カメラを持った男のきっと交じっているのは近頃のことである。 帰りに青梅を出て間もなく二度までも巡査に呼・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・徳義的批判を含んだ言葉で云えば臆病とか度胸がないとか云うべき弱点を自由に白状している。たかが夏目漱石の所へ来るのにこうビクビクする必要はあるまいとお思いかも知れませんが実際あるのです。しかし私はこれが今の青年だからあるのだと信じます。旧幕時・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫