・・・その大規模な歴史の廃墟のかたわらに、人民の旗を翻し、さわやかに金槌をひびかせ、全民衆の建設が進行しつつあるとはいいきれない状態にある。なぜなら、旧体制の残る力は、これを最後の機会として、これまで民衆の精神にほどこしていた目隠しの布が落ちきら・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・やがて鉄骨だけの姿になった廃墟がうつし出されても、思い出は何と不思議だろう。その有様と私の心にある夏の夜のクリスタル・パレスの景色とは合わさって一つのものとなろうとしないのであった。〔一九三七年四月〕・・・ 宮本百合子 「映画」
・・・明るい廃墟の市の午後の街上を疾走するのは我々をのせた自動車ぎりであった。ソンムとヴェルダンとはヨーロッパ大戦を通じて最も激しい犠牲の多かった北部フランスの古戦場なのである。 ヴェルダン市の市役所のあったところ、大病院のあったところ、学校・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ ヴェルダン市とその周囲の山々につづく村落とはまったく廃墟となっていて、市役所の跡などはポンペイの発掘された市のとおり、土台だけが遺されている。 一望果しなく荒涼とした草原を自動車は疾駆し次第に山腹よりに近づき、ドーモンその他の砲台・・・ 宮本百合子 「金色の口」
・・・だが、彼等が、食うものがないからと云って、子供に対して非人間的な残虐に立ち到った、その心理の根底には、単なる飢えにたけりたったとはちがった、何か、云うに云えない心の廃墟があったのではなかろうか。つまりより飢えなかったとき、既に畜生道に陥る精・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
・・・ 粘土と平ったい石片とで築かれたアラビア人の城砦の廃墟というのへ登り、風にさからって展望すると、バクーの新市街の方はヨーロッパ風の建物の尖塔や窓々で燦めいている。けれども目の下の旧市街は低い近東風の平屋根の波つづきで、平屋根の上には大小・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・列を作って、地道な蟻のように、廃墟の地ならしにとりかかりました。それにこの神々が、人間の精神まで殺し終おせたように云われたのはまるで事実とは違う間違いですね。学舎の壁は火で煤け、天井はやっと夜露を凌ぐばかりだが学者達は半片の紙、半こわれの検・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・窪地に廃墟が立ち、しかし樹木はこの初夏格別に美しい新緑をつけた。高低のあるこの辺の地勢は風景画への興味を動かすのである。ほんとうに、ことしの新緑の美しかったこと。地べたの中にアルカリが多くなっていたせいか、新緑は、いつもの年よりも遙かに透明・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
あちこちに廃墟が出来てから、東京という都会の眺望は随分かわった。小石川の白山から、坂の上にたって、鶏声ケ窪の谷間をみわたすと、段々と低くなってゆく地勢とそこに高低をもって梢を見せている緑の樹木の工合がどこかセザンヌの風景め・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・天気の悪い日には、焼跡の原に向った一つの廃墟の広大な地下室の中に坐っていた。そこでは野良犬や野良猫が生きて、死んでゆき、それらの犬猫の死骸の臭いが、雨や風の音の下で漂っている。 飢えないためにゴーリキイはヴォルガへ、波止場へ出かけて行っ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫