・・・二六新報の計画した娼妓自由廃業の運動はこの時既に世人の話柄となっていたが、遊里の風俗はなお依然として変る所のなかった事は、『註文帳』の中に現れ来る人物や事件によっても窺い知ることが出来る。『註文帳』は廓外の寮に住んでいる娼家の娘が剃刀の・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・実を云うと幽霊と雲助は維新以来永久廃業した者とのみ信じていたのである。しかるに先刻から津田君の容子を見ると、何だかこの幽霊なる者が余の知らぬ間に再興されたようにもある。先刻机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽霊の書物だとか答えたと記憶する・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・柳橋の三浦屋サ先日高尾が無理心中をしたその跡釜へ今日小紫を抱えたのサもっとも小紫は吉原の大文字に居たのだが昨日自由廃業したと、チャント今朝の『二六』に出て居るじゃないか、とまじめにいうと、アラいやだよ人を馬鹿にしてる、あなたはきっといい処が・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・当時の封建的な時代には殿様を廃業してそこらの人間になればもっともっと人間らしい生活ができるということがわからない。そこで殿様は煩悶して家来を手打ちにしたりして乱暴するものですから幽閉されて、子供に殿様の位を譲って隠居させられてしまう。ところ・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・その時は大阪にいた親戚により、大阪から今はもう廃業してしまった対山楼に行った。梅林があり、白梅が真盛りで部屋へ薫香が漲っていたのをよく覚えている。何にしろ年少な姉弟ぎりの旅だったので、収穫はから貧弱であった。博物館で僅の仏像を観た位のもので・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・長崎駅に下りて、赤帽に訊いて見ると、もう廃業して、ジャパン・ホテルだけの由、相談をし、兎も角其処へ行って見ることになった。雲が薄くなり、稀に、光った雨脚が京都と同じように乾きの早い白い道に降る。上海などへ連絡する船宿の並んだ通りをぬけ、港沿・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・東京の円タクはガソリン・スタンド廃業というようなことがある位で一日二ガロン半とかも手に入りにくい時があるらしいが、あちらはどうやらやりくっているから助ります。 今年の冬から、日本じゅうお米が七分搗になります。ビルディングの暖房もずっと減・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
・・・ 藍子は、女が若しか廃業でもしたい気かも知れないと思って来たのであったが、その推察ははずれていたのを知った。「あんたの気持をよく聞いて帰れば、尾世川さんも種々しいいんだから」 千束から人の来たことを話しても、女は身にしみては聴い・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・に対して意志的に無になろうとするならば、その人は先ず第一に芸術家であることを廃業しなければならないであろう。近松は、あれほど沢山の浄瑠璃を書かざるを得なかった程、義理人情の枠を突破する現実の人間性の迸出を当時の社会にあって感覚したのである。・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫