・・・アレだけの長い閲歴と、相当の識見を擁しながら次第に政友と離れて孤立し、頼みになる腹心も門下生もなく、末路寂寞として僅に廓清会長として最後の幕を閉じたのは啻に清廉や狷介が累いしたばかりでもなかったろう。四 沼南は廃娼を最後の使・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・市の廓清も議院の改造も出来る。浮世を茶にせずとも自分の気に入るように革新出来ぬ事は無い。文人の生活は昔とは大に違っている。今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・とある、而して今時の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である、彼等は忠君を説く、愛国を説く、社交を説く、慈善を説く、廓清を説く、人類の進歩を説く、世界の平和・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・だから先生がいち早く身をひかれたのはいかにももっともなのであるが、しかしまたそれだけに先生の廓清的な仕事の余地もあったのである。 先生の探求心が晩年まで衰えなかったことの一つの証拠は『音幻論』であるが、伝え聞くところによると、先生は・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫