・・・村長は四十何歳という分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は何時もこの人を相談相手にしているのである。「貴公富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。「知っているとも、先刻倉蔵が・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 先ず道徳思想と道徳との弁別の問題がある。リップスによれば、モラールは時と処と人とによって異なる道徳的見解、要求の類であり、如何なる民族も、階級も、個人もそれぞれこれを持っている。かかるモラールには真に道にかなう因子が含まれているに相違・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・と年齢は同じほどでも女だけにませたことを云ったが、その言葉の端々にもこの女の怜悧で、そしてこの児を育てている母の、分別の賢い女であるということも現れた。 源三は首を垂れて聞いていたが、「あの時は夢中になってしまったのだもの、そし・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・で、おれはその後その娘を思っているというのではないが、何年後になっても折節は思い出すことがあるにつけて、その往昔娘を思っていた念の深さを初めて知って、ああこんなにまで思い込んでいたものがよくあの時に無分別をもしなかったことだと悦こんでみたり・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・時には前途の思いに胸がふさがって、さびしさのあまり寝るよりほかの分別もなかったことを覚えている。 過去を振り返って見ると、今の私がどうにか不自由もせずに子供らを養って行けるというだけでも、不思議なくらいである。あの子供らの母さんの時代の・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・佐吉さんの店に毎日集って居た若者達も、今は分別くさい顔になり、女房を怒鳴ったりなどして居るのだろう。どこを歩いても昔の香が無い。三島が色褪せたのではなくして、私の胸が老い干乾びてしまったせいかもしれない。八年間、その間には、往年の呑気な帝国・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・いいとしをして思慮分別も在りげな男が、内実は、中学生みたいな甘い咏歎にひたっていることもあるのだし、たかが女学生の生意気なのに惹かれて、家も地位も投げ出し、狂乱の姿態を示すことだってあるのです。それは、日本でも、西欧でも同じことであるのです・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ こういう時代物の映画で俳優たちのいちばんスチューピッドに見えるのは、彼らが何かひとかどの分別ありげな思い入れをする瞬間である。深謀遠慮のある事を顔に出そうとすればするほどスチューピッドになるのは当然のことである。 日本の時代物映画・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・子猫に対して見るといかにも分別のある母親らしく見えていた三毛ですらも、やはりそうであった。いちばん小さい私の子供に引っかかえられて逃げようとしてもがきながら鳴いているところを見たりすると、なおさらそういうディスイリュージョンを感じるのであっ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ 息子は、負けずぎらいな親爺をたしなめるように怒鳴った。「相手が地主の一人娘じゃねえか」 息子は、分別深く話した。「地主はスッカリ怒っていて、小作の田畑を全部とりあげると云うんだ。俺ァはァ、一生懸命詫びたがどうしてもきかねえ・・・ 徳永直 「麦の芽」
出典:青空文庫