・・・しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たがしまいには面倒になったから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもって窮窟な交際をやるのはもっとも厭いだ。加之倫敦は広いから交際などを始めるとむやみに時間をつぶす、おまけにきたない「シャツ」などは着て行かれず、「ズボン」の膝が前へせり出していてはまずいし雨のふる時などはな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・言語を慎み寡黙を守ると言う、其寡黙も次第に之に慣るゝときは、人生に必要なる弁舌の能力を枯らして、実用に差支を生ずるに至る可し。我輩とても敢て多弁を好むに非ざれども、唯徒に婦人の口を噤して能事終るとは思わず。在昔大名の奥に奉公する婦人などが、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 渡辺慧氏の弁舌も特徴のつよいものです。この人の左まわり右へは、さき頃のラジオ討論会、「宗教と科学は両立するか」の時の話し方で聴取者の腹の底までしみ渡りました。渡辺氏は、宗教が、たとえば宗教裁判や戦争挑発によって過去に人類的罪悪を犯した・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 栄蔵が、畢生の弁舌を振っても、山岸の方へは何の効力もなかった。 あまり話がはかどらないので、仕舞いにはお金の云った事がほんとうであったのかもしれないと思う様になったりした。 途方に暮れて、馬場へも、度々栄蔵は出かけて行って二人・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・「おけら共が派手な弁舌で時を得顔な時代思潮を説いているのを見ると」「流れに身をまかせて安きについているようにさえ思われた。」 梅雄はそれでひねくれてしまうのではなく、反動的な生き方をする人々を凡て軽蔑し、その点で姉である松下夫人をも人間・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・ 菊太の出来るだけの弁舌を振って、彼方此方、実入の悪かった田の例をあげる。 処は何処で、何と云う名の小作人の田では去年の三ケ一ほか上らなかったとか、誰それの稲は無駄花ばっかりでねたのは少しほかなかったとか、そう云う事をあきるほど云い・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・心たけく、機はしり、大略は弁舌も明らかに物をいい、智慧人にすぐれ、短気なることなく、静かに奥深く見えるのであるが、しかし何事についてもよわ見なることをきらう。この一つの欠点のゆえに、いろいろな破綻が生じてくるのである。家老は大将のこの性格を・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫