・・・昔通りのくぐり門をはいって、幅の狭い御影石の石だたみを、玄関の前へ来ると、ここには、式台の柱に、銅鑼が一つ下っている。そばに、手ごろな朱塗の棒まで添えてあるから、これで叩くのかなと思っていると、まだ、それを手にしない中に、玄関の障子のかげに・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・お鳥居より式台へ掛らずに、樹の上から飛込んでは、お姫様に、失礼でっしゅ、と存じてでっしゅ。」「ほ、ほう、しんびょう。」 ほくほくと頷いた。「きものも、灰塚の森の中で、古案山子を剥いだでしゅ。」「しんびょう、しんびょう……奇特・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ と、式台正面を横に、卓子を控えた、受附世話方の四十年配の男の、紋附の帷子で、舞袴を穿いたのが、さも歓迎の意を表するらしく気競って言った。これは私たちのように、酒気があったのでは決してない。 切符は五十銭である。第一、順と見えて、六・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・て、客は二階から下りて来て――長火鉢の前へ起きて出た、うちの母の前へ、きちんと膝に手をついて、―― 分外なお金子に添えて、立派な名刺を――これは極秘に、と云ってお出しなすったそうですが、すぐに式台へ出なさいますから、と引留めて置いて・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・……その勢だから……向った本堂の横式台、あの高い処に、晩出の参詣を待って、お納所が、盆礼、お返しのしるしと、紅白の麻糸を三宝に積んで、小机を控えた前へ。どうです、私が引込むもんだから、お京さん、引取った切籠燈をツイと出すと、――この・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ と言って私は式台にあがってしゃがみ、「私でも、あとの始末は出来るかも知れませんから。どうぞ、おあがりになって、どうぞ。きたないところですけど」 二人の客は顔を見あわせ、幽かに首肯き合って、それから男のひとは様子をあらため、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめずらしくその日、俄雨があり、夫は、リュックを背負い靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしているように顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふいと一言、「さるすべ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・見ると、玄関の式台には紋服を着た小坂吉之助氏が、扇子を膝に立てて厳然と正座していた。「いや。ちょっと。」私はわけのわからぬ言葉を発して、携帯の風呂敷包を下駄箱の上に置き、素早くほどいて紋附羽織を取出し、着て来た黒い羽織と着換えたところま・・・ 太宰治 「佳日」
・・・説は、なんだい、とてんから認めていなかったのだから、うまく折合う道理はなし、或る日、地平は、かれの家の裏庭に、かねて栽培のトマト、ことのほか赤く粒も大なるもの二十個あまり、風呂敷に包めるを、わが玄関の式台に、どさんと投げつけるが如くに置いて・・・ 太宰治 「喝采」
出典:青空文庫