・・・正純も弓矢の故実だけは聊かわきまえたつもりでおります。直之の首は一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。それを強いてお目通りへ持って参れと御意なさるのはその好い証拠ではございませぬか?」 家康は花鳥の襖越し・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・男は、――いえ、太刀も帯びて居れば、弓矢も携えて居りました。殊に黒い塗り箙へ、二十あまり征矢をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真に人間の命なぞは、如露亦如電に違いご・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・有羊腸、維石厳々、嚼足、毀蹄、一高坂也、是以馬憂これをもってうまかいたいをうれう、人痛嶮艱、王勃所謂、関山難踰者、方是乎可信依、土人称破鐙坂、破鐙坂東有一堂、中置二女影、身着戎衣服、頭戴烏帽子、右方執弓矢、左方撫刀剣――とありとか。 こ・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・太刀、斧、弓矢に似もつかず、手足のこなしは、しなやかなものである。 従七位が、首を廻いて、笏を振って、臀を廻いた。 二本の幟はたはたと飜り、虚空を落す天狗風。 蜘蛛の囲の虫晃々と輝いて、鏘然、珠玉の響あり。「幾干金ですか。」・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・けれども、以前見覚えた、両眼真黄色な絵具の光る、巨大な蜈むかでが、赤黒い雲の如く渦を巻いた真中に、俵藤太が、弓矢を挟んで身構えた暖簾が、ただ、男、女と上へ割って、柳湯、と白抜きのに懸替って、門の目印の柳と共に、枝垂れたようになって、折から森・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・上杉謙信がそれを見て嘲笑って、信玄、弓箭では意をば得ぬより権現の力を藉ろうとや、謙信が武勇優れるに似たり、と笑ったというが、どうして信玄は飯綱どころか、禅宗でも、天台宗でも、一向宗までも呑吐して、諸国への使は一向坊主にさせているところなど、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢をはなさぬ姿は、はなはだものものしげである。漫然と遠くからこれをのぞめば、まことに意味ありげであるが、近づいて仔細にこれを見れば、なんでもないのである。 わたくしは、かならずしもしいて死を急ぐ者で・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・死の事大ちょうことは、太古より知恵ある人が建てた一種の案山子である、地獄・極楽の簑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである、漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之を看れば何でもないのである。 私は必し・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・竜巻よ来い。弓矢、来い。氷山、来い。渦まく淵を恐れず、暗礁おそれず、誰ひとり知らぬ朝、出帆、さらば、ふるさと、わかれの言葉、いいも終らずたちまち坐礁、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄・・・ 太宰治 「喝采」
・・・いちどは、こらしめのため、あなたを弓矢で傷つけて、人間界にかえしてあげましたが、あなたは再び烏の世界に帰る事を乞いました。神は、こんどはあなたに遠い旅をさせて、さまざまの楽しみを与え、あなたがその快楽に酔い痴れて全く人間の世界を忘却するかど・・・ 太宰治 「竹青」
出典:青空文庫