・・・が、簾の外の往来が、目まぐるしく動くのに引換えて、ここでは、甕でも瓶子でも、皆赭ちゃけた土器の肌をのどかな春風に吹かせながら、百年も昔からそうしていたように、ひっそりかんと静まっている。どうやらこの家の棟ばかりは、燕さえも巣を食わないらしい・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・いや、五百円の金を貰ったのではない、二百円は死後に受けとることにし、差し当りは契約書と引き換えに三百円だけ貰ったのです。ではその死後に受けとる二百円は一体誰の手へ渡るのかと言うと、何でも契約書の文面によれば、「遺族または本人の指定したるもの・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・椿岳は取換え引換え妾を持って、通り掛りに自分の妾よりも美くしい女を見ると直ぐ換えたというほど盛んに取換えて、一生に百六十人以上の妾を持ったというはまた時代の悪瓦斯に毒された畸行の一つであった。だが、この椿岳の女道楽を単なる漁色とするは時代を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ そして、駅の東出口の横にある荷物の一時預け所へ行き、引換えのチケットを出そうとして、はじめてそれが無くなっていることに気がついた。 あわてて、あちこちポケットを……裏返しにまでしてみたが、ない。「おかしい。落したのかな」 ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ 春霞たなびく野辺といえどもわが家ののどけさには及ぶまじく候 ここに父上の祖父様らしくなられ候に引き換えて母上はますます元気よろしくことに近ごろは『ワッペウさん』というあだ名まで取られ候て、折り折り『おしゃべり』と衝突なされ候ことこれま・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 今まで喜びに満されていたのに引換えて、大した出来ごとではないが善いことがあったようにも思われないからかして、主人は快く酔うていたがせっかくの酔も興も醒めてしまったように、いかにも残念らしく猪口の欠けを拾ってかれこれと継ぎ合せて見ていた・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・と思えば、金持ち気分になりすますことも容易である。入用なときはいつでも「預かり証」と引き換えに持って帰ることができるのである。ただ問題は、肝心の時にその「預かり証」がなくなっていることである。 アルプスにも山火事があるように、デパートに・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが、こんな気分を云うのではないかと、昨夕の気味の悪かったのに引き換えて今の胸の中が一層朗かになる。なぜあんな事を苦にしたろう、自分ながら愚の至りだと悟って見ると、何だか馬鹿馬鹿しい。・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫