・・・赤い唇を、きゅっと引き締めた。「僕は最近また、ぼちぼち読み直してみているんですけれども。」「へへ、」佐伯は、机の傍にごろりと仰向きに寝ころび、へんな笑いかたをした。「君は、どうしてそんな、ぼちぼち読み直しているなんて嘘ばかり言うんだね?・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・どうせ出るなら、袴をはいて、きちんとして、私は歯が欠けて醜いから、なるべく笑わず、いつもきゅっと口を引き締め、そうして皆に、はっきりした言葉で御無沙汰のお詫びをしよう。すると、或いは故郷の人も、辻馬の末弟、噂に聞いていたよりは、ちゃんとして・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・目立ってぶざまらしく、折敷さえ満足に出来ず、分会長には叱られ、面白くなくなって来て、おれはこんな場所ではこのように、へまであるが、出るところへ出れば相当の男なんだ、という事を示そうとして、ぎゅっと口を引締めて眥を決し、分会長殿を睨んでやった・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・その堂々たる万年筆を、しかと右手に握って胸を張り、きゅっと口を引き締め、まことに立派な態度で一字一字、はっきり大きく書いてはいるが、惜しい事には、この長兄には、弟妹ほどの物語の才能が無いようである。弟妹たちは、それゆえ此の長兄を少しく、なめ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
伝統的な女形と云うものの型に嵌って終始している間、彼等は何と云う手に入った風で楽々と演こなしていることだろう。きっちりと三絃にのり、きまりどころで引締め、のびのびと約束の順を追うて、宛然自ら愉んでいるとさえ見える。 旧・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする善意はあるが、ゆたかな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮らしてゆくことができない。ややもすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内証で里・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫