・・・ そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。 世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・土地では珍しいから、引越す時一枝折って来てさし芽にしたのが、次第に丈たかく生立ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾を持たない。丁ど十年目に、一昨年の卯月の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒ったって平気さ」 膳の前に坐っている子供等相手に、斯うした話をしながら、彼はやはり淋しい気持で盃を嘗め続けた。 無事に着いた、屹度十日までに間に合せて金を・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・但馬さんもしきりに引越すようにすすめて、こんなアパートに居るのでは、世の中の信用も如何と思われるし、だいいち画の値段が、いつまでも上りません、一つ奮発して大きい家を、お借りなさい、と、いやな秘策をさずけ、あなたまで、そりゃあそうだ、こんなア・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・もしこの家を引越すとするとこの四足の靴をどうして持って行こうかと思い出した。一足は穿く、二足は革鞄につまるだろう、しかし余る一足は手にさげる訳には行かんな、裸で馬車の中へ投り込むか、しかし引越す前には一足はたしかに破れるだろう。靴はどうでも・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・私ひとりの身の上にも様々のことがあって、二十年ぶりで林町の家へ引越して来たり、その夏の苦しい気持は、もう引越すばかりになっている家の物干にせめては風知草の鉢でもと、買って来て夜風に眺めるほどであった。 秋になって落ついたらばと思っている・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・――集中して仕事をするために弟の家族と生活することの不自然を感じて、十二月下旬、目白に引越すことにした。 執筆五月。わが父。七月。芸術が必要とする科学。マクシム・ゴーリキイの発展の特質。、逝けるゴーリキイ。、ゴーリキイ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・〔欄外に〕母の腫物 一、家さがし 一、九月三日林町から引越す。 ――○―― 一、生活に馴れない不安、有尾の家、隠居所のこと。 一、それ等の間にも雲が切れたように親子の情は動く。対話、母の父に対する感・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
・・・引越しましょうよ 私、真個に―― 引越すと云えば、又如何那面倒と時間とを犠牲に供しなければ成らないかを、只の一度で充分に思い知らされた泰子は、自分で出かけて引越す気には成れないのだ。 其上、夏の休暇には遠方へ旅行する次手に、家も変え・・・ 宮本百合子 「われらの家」
出典:青空文庫