・・・滅させられた後、ファシズムに抗する人民戦線の問題、文学における能動精神がフランスから紹介されたが、近代の市民生活の歴史をもたず、封建保守の傾きのつよい当時の日本の作家の雰囲気の中には、いつも、こうむる弾圧は、左翼だからという考えかたに支配さ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・歴史に有名な「ライン新聞の弾圧」によって、カールがその編輯者をやめさせられたのは、イエニーと結婚する三月前のことであった。しかも『ライン新聞』を去ったカールが友人と共にパリで『独仏年誌』を発行することにきまって、編輯者としてカールが五百ター・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・にたいする弾圧があった時代にさかのぼって話されなければなるまい。それまでは「コップ」や「ナップ」で公然と文筆活動をしていた小林多喜二、宮本顕治その他の人々が、一九三二年三月以後はこれまでの活動の形をかえて、地下的に生活し働かなければならない・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・三・一五の私たちへつたえる教訓は、一九二八年におこった大規模な共産党と共産主義者に対する弾圧は、これを機会に日本の治安維持法が改悪され、特高警察がおかれ、検事に思想係が出来たというだけのことではなかった。私どもがもっとも銘記すべきことは、こ・・・ 宮本百合子 「共産党とモラル」
・・・当時ドイツは、近代資本主義の国家として生産上の立おくれを急速にとり返そうとする貪慾な資本家、地主に対して、労働者の組織とその運動とが全国にひろまり、ビスマークのきめた「社会主義者弾圧法」もついに一八九〇年で惨酷な権威を失わなければならなくな・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されて・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・一ヵ月あまりののち、プロレタリア文化団体に対する全面的弾圧がはじまって、四月七日、顕治は非合法生活に入り、百合子は検挙された。そういう事情のために百合子の入籍手続がおくれていた。[自注6]壺井さん、栄さん――壺井栄。[自注7]島田の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この場合にも彼らの利用するのは種々の弾圧力である。日本の人民は自分たちの政治的無経験がどんなに悪用されているかということについて目を覚ましはじめている。このようにして日本の民主化とその文化建設の段階は、より複雑なより自覚的な新しい第四の時期・・・ 宮本百合子 「今日の日本の文化問題」
・・・ところが僅か三号出したばかりのとき、発行元であった日本プロレタリア文化連盟が、つい先頃まで私たちを苦しめた治安維持法という悪法によって弾圧され、『働く婦人』の刊行は、非常に困難に陥りました。折角出来上った雑誌をそっくりそのまま警察の手で押え・・・ 宮本百合子 「再刊の言葉」
・・・ むかし社会主義の思想と運動が治安維持法によって極端に弾圧されていた時代、日本共産党が非合法な政党としてひどい目にあわされていた時代、運動に入って困難な闘いを続けている若い男女の同志が世間態は人なみの家庭生活をしなければならないために、・・・ 宮本百合子 「社会生活の純潔性」
出典:青空文庫