・・・――そういう往年の豪傑ぶりは、黒い背広に縞のズボンという、当世流行のなりはしていても、どこかにありありと残っている。「飯沼! 君の囲い者じゃないか?」 藤井は額越しに相手を見ると、にやりと酔った人の微笑を洩らした。「そうかも知れ・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・たとえば当世の上臈の顔は、唐朝の御仏に活写しじゃ。これは都人の顔の好みが、唐土になずんでいる証拠ではないか? すると人皇何代かの後には、碧眼の胡人の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云われぬ。」 わたしは自然とほほ笑みました。御主人・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ と低いが壁天井に、目を上げつつ、「角海老に似ていましょう、時計台のあった頃の、……ちょっと、当世ビルジングの御前様に対して、こういっては相済まないけども。……熟と天頂の方を見ていますとね、さあ、……五階かしら、屋の棟に近い窓に、女・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・白い桔梗と、水紅色の常夏、と思ったのが、その二色の、花の鉄線かずらを刺繍した、銀座むきの至極当世な持もので、花はきりりとしているが、葉も蔓も弱々しく、中のものも角ばらず、なよなよと、木魚の下すべりに、優しい女の、帯の端を引伏せられたように見・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・…… ところが若夫人、嫁御というのが、福島の商家の娘さんで学校をでた方だが、当世に似合わないおとなしい優しい、ちと内輪すぎますぐらい。もっともこれでなくっては代官婆と二人住居はできません。……大蒜ばなれのした方で、鋤にも、鍬にも、連尺に・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・、或は理想といい美術的といい、美術生活などと、それは見事に物を言うけれど、其平生の趣味好尚如何と見ると、実に浅薄下劣寧ろ気の毒な位である、純詩的な純趣味的な、茶の湯が今日行われないは、穴勝無理でない、当世人士の趣味と、茶の湯の趣味とは、其程・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。 徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉を老人は思い出した。 徳の説く所もまんざら無理ではない。道理はあるが、あの徳の言い草が本気でない。真実彼奴はそう信・・・ 国木田独歩 「二老人」
当世の大博士にねじくり先生というがあり。中々の豪傑、古今東西の書を読みつくして大悟したる大哲学者と皆人恐れ入りて閉口せり。一日某新聞社員と名刺に肩書のある男尋ね来り、室に入りて挨拶するや否、早速、先生の御高説をちと伺いたし、・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・特更あれは支那流というのですか病人流というのですか知りませんが、紳士淑女となると何事も自分では仕無いで、アゴ指図を極め込んで甚だ尊大に構えるのが当世ですネ。ですから左様いう人が旅行をするのは何の事は無い、「御茶壺」になって仕舞うようなもので・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・ 先生の文章は当世に売らんが為めには、寧ろ余りに高過ぎた。先生の文章は曽て世間と伴わなった。曽て世間に媚びなかった。常に世間に一歩を先んじた。先生の文章は先生の至誠至忠の人格の発露であった。是れ先生の文章の常に真気惻々人を動かす所以であ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
出典:青空文庫