・・・以前は影絵、うつし絵などでは、巫山戯たその光景を見せたそうで。――御新姐さん、……奥さま。……さ、お横に、とこれから腰を揉むのだが、横にもすれば、俯向にもする、一つくるりと返して、ふわりと柔くまた横にもしよう。水々しい魚は、真綿、羽二重の俎・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ただし、その上に、沈んだ藤色のお米の羽織が袖をすんなりと墓のなりにかかった、が、織だか、地紋だか、影絵のように細い柳の葉に、菊らしいのを薄色に染出したのが、白い山土に敷乱れた、枯草の中に咲残った、一叢の嫁菜の花と、入交ぜに、空を蔽うた雑樹を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・性来頗る器用人で、影画の紙人形を切るのを売物として、鋏一挺で日本中を廻国した変り者だった。挙句が江戸の馬喰町に落付いて旅籠屋の「ゲダイ」となった。この「ゲダイ」というは馬喰町の郡代屋敷へ訴訟に上る地方人の告訴状の代書もすれば相談対手にもなる・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そしてどちらの背中にも夏簾がかかっていて、その中で扇子を使っている人々を影絵のように見せている灯は、やがて道頓堀川のゆるやかな流れにうつっているのを見ると、私の人一倍多感な胸は躍るのでしたが、しかし、そんな風景を見せてくれた玉子を、あのいつ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そして、ちょうど太陽の光の反射のなかへ漕ぎ入った船を見たとき、「あの逆光線の船は完全に影絵じゃありませんか」 と突然私に反問しました。K君の心では、その船の実体が、逆に影絵のように見えるのが、影が実体に見えることの逆説的な証明になる・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影絵があり、夕焼空に澄んだ梢があった。そのたび、遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に写った。 日の光に満ちた空気は地上をわずかも距っていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜の空に写すのであった。 ――吾々は「扇を倒にした形」だとか「摺鉢を伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。あの広い裾野を持ち、あの高さを持った富士の容積、高・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・たとえば昔からわが国でも座興として行なわれる影人形や、もっと進んでハワイの影絵芝居のようなものも、それが光と影との遊戯であるというだけでは共通な点がなくはない。またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、ある大工さんのおはこの影絵の踊りであった。それは、わずかに数本の箸と手ぬぐいとだけで作った屈伸自在な人形に杯の笠を着せたものの影法・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・抽斎の子は飛蝶と名乗り寄席の高座に上って身振声色をつかい、また大川に舟を浮べて影絵芝居を演じた。わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
出典:青空文庫