・・・それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰らない、ありふれた郊外の町なのである。いつものように、四ツ辻にポストが立っ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 二つの小さな姿が、川岸伝いに、川上の捲上小屋に駆けて行くのが、吹雪の灰色の夕闇の中に、影絵のように見えた。 二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・てから世界の文学は、絶えず自身を新しく生れかわらそうとして七転八倒しつづけて来たが、その意味では第一次大戦後におこったシュール・リアリズムさえも、古い資本主義社会の機能のもとで苦しむ小市民の魂の反抗の影絵でしかなかった。社会主義の社会の建設・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・一枝群を離れて冲って居る緑の頂上に鷹を小型にしたような力強い頭から嘴にかけての輪廓を、日にそむいて居る為、真黒く切嵌めた影絵のように見せて居る。囀ろうともせず、こせついた羽づくろいをしようともせず、立木の中の最も高い頂に四辺を眺めて居る小鳥・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・重く寒い暗藍色の東空に、低く紅の横雲の現れたのが、下枝だけ影絵のように細かく黒くちらつかせる檜葉の葉ごしに眺められた。閉め切った硝子戸の中はまだ夜だ。壮重な夜あけを凝っと見て居ると、何処かで一声高らかに鶯が囀った。ホーと朗らかに引っぱり、ホ・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・一団此方に一団とかたまった電光を含む叢雲が、揺れ動き崩れかかる、その隙間にちらり、ちらりヴィンダーブラの大三叉を握った姿、ミーダの鞭を振る姿、カラがおどろにふり乱した髪を吹きなびかせて怒号する姿、黒い影絵のように見える。声が聞える。・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・目の前の堤にかけ登って、ずっと遠くの野を展望した一人の消防夫の小作りな黒い影絵の印象を、恐らく私は生涯忘れないだろう。列車の下から追い出したのが何であったか、それをどう始末したか、結着のつかないうちに、汽車は前進し始めた。 高崎から、段・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫