・・・ 彼の述懐を聞くと、まず早水藤左衛門は、両手にこしらえていた拳骨を、二三度膝の上にこすりながら、「彼奴等は皆、揃いも揃った人畜生ばかりですな。一人として、武士の風上にも置けるような奴は居りません。」「さようさ。それも高田群兵衛な・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・三の烏 あれほどのものを、持運びから、始末まで、俺たちが、この黒い翼で人間の目から蔽うて手伝うとは悟り得ず、薄の中に隠したつもりの、彼奴等の甘さが堪らん。が、俺たちの為す処は、退いて見ると、如法これ下女下男の所為だ。天が下に何と烏ともあ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・……彼奴猛獣だからね。」「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染だで。」 けれども、胸が細くなった。轅棒で、あの大い巻斑のある角を分けたのであるから。「やあ、汝、……小僧も達しゃがな。あい、御免。」 敢て獣の臭さえもしないで、・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫に注意した。彼奴が後足で立てば届く、低い枝に、預ったからである。 朝寝はしたし、ものに紛れた。午の庭に、隈なき五月の日の光を浴びて、黄金の如く、銀の如く、飛石の上から・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴の尻をたたき戻した事は言うまでもない。 夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児が、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。「いや、何といたし・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・と謂われて返さむ言も無けれど、老媼は甚だしき迷信者なれば乞食僧の恐喝を真とするにぞ、生命に関わる大事と思いて、「彼奴は神通広大なる魔法使にて候えば、何を仕出ださむも料り難し。さりとて鼻に従いたまえと私申上げはなさねども、よき御分別もおわさぬ・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・ こう暴れているうちにも自分は、彼奴何時の間にチョーク画を習ったろう、何人が彼奴に教えたろうとそればかり思い続けた。 泣いたのと暴れたので幾干か胸がすくと共に、次第に疲れて来たので、いつか其処に臥てしまい、自分は蒼々たる大空を見上げ・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・『彼奴は遠からず死ぬわい』など人の身の上に不吉きわまる予言を試みて平気でいる、それがまた奇妙にあたる。むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・どうせこれが人の運命だろう、その証拠には自分の友人の中でも随分自分と同じく、自然を愛し、自然を友として高き感情の中に住んでいた者もあったが、今では立派な実際家になって、他人のうわさをすれば必ず『彼奴は常識が乏しい』とか、『あれは事務家だえら・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・あの節廻しは吉次だ。彼奴声は全たく美いよ。 五月十日 外から帰たのが三時頃であった。妻は突伏して泣いている。「どうしたのだ、どうしたの?」と自分は驚ろいて訊いたが、お政のことゆえ、泣くばかりで容易に言い得ない。泣くのはこの女の持・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫