・・・「勉強も出来ないほど待ち遠しいかね。」「宮本さんじゃあるまいし、第一家を持つとしても、借家のないのに弱っているんです。現にこの前の日曜などにはあらかた市中を歩いて見ました。けれどもたまに明いていたと思うと、ちゃんともう約定済みになっ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・新蔵は礼と一しょに承知の旨を答えると、早速電話を切りましたが、さあそれから日の暮までが、待遠しいの、待遠しくないのじゃありません。算盤を弾く。帳合いを手伝う。中元の進物の差図をする。――その合間には、じれったそうな顔をして、帳場格子の上にあ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ひどい風だからねえ、まるで怒濤の中でもいるようで、夜の明けるのが待遠しい。それに天井からは蜘蛛やら蚰蜒やら落ちてくるしね……」「そういったわけでもないですがね、……兄さんには解らんでしょうが、遣繰り算段一方で商売してるほど苦しいものはな・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・十一月末の昼の短い時でも、晩が来るのがなか/\待遠しい。晩には夜なべに、大根を切ったり、屑芋をきざんだりする。このあいだ、昼間があまり忙しいので、夜なべに蕎麦をこなしたのだと母は話している。 祖父も百姓だった。その祖父も、その前の祖父も・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・私は、老いの寝覚めをやるほうなので、夜明けが待ち遠しいことさえある。睡眠時間が、短いのである。からだのどこかが、老人になってしまっているのかも知れない。朝、寝床の中で愚図愚図していると、のた打つほど苦になることばかり、ぞろぞろ、しかも色あざ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そうしてみると結局日本人の西洋本位思想が少しでも減退してほんとうの国民的自覚が勃興しない限り、連句が日本人自身から正当に認められる日の来るのはなかなか待ち遠しいかもしれない。考えてみると情けない次第である。 しかしまた考えてみると、西洋・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 斯うやって子供達の待遠しい時間は、ゆるゆると立って漸く鍋の中から、白い湯気が立ちのぼり、グツグツと云ううれしい音がし始めて、しばらく立つと一番の兄は、ヒョイと土間へ素足のまんま下りて「流し」に行った。そこには、朝のままの木の「椀」がつ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・あたりは暗いし、待ち遠しいし、つきつめた、気の遠くなるような思いで今溢れる際までたぎり立たせ、みのえは瓦斯を消し、ちょっと手をひっこませて元禄の袖口の綿入れにもうっと温く伝って来るほど熱した薬罐を持って立ち上った。 襖をあける。 眩・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫