・・・俺は勿論後悔した。同時にまた思わず噴飯した。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」 しかし同僚を瞞着するよりも常子の疑惑を避けることは遥かに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆してい・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲しなければならない妻も気の毒に感じたのだ。僕は君も知っている通り、元来体も壮健じゃない。その上僕は妻を愛そうと思っていても、妻の・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・彼れの後悔しているものは博奕だけだった。来年からそれにさえ手を出さなければ、そして今年同様に働いて今年同様の手段を取りさえすれば、三、四年の間に一かど纏まった金を作るのは何でもないと思った。いまに見かえしてくれるから――そう思って彼れは冬を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人と・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・正直な満蔵は真から飛んだ事を言ってしまったとの後悔が、隠れなく顔にあらわれる。満蔵が正直あふれた無言の謝罪には、母もその上しかりようないが、なお母は政さんにもそれと響くよう満蔵に強く念を押す。「ねい満蔵、ちょっとでもそんなうわさを立てら・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・しまったと後悔したのは、出口の障子をつい烈しくしめたことだ。 きょうは早く行って、あの男またはその他の人に呼ばれないうちに、吉弥めをあげ、一つ精一杯なじってやろうと決心して、井筒屋へ行った。湯から帰ってすぐのことであった。「叔母さん・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ そしてその夜は、後悔しました。 あの大事な笛を割ってしまって、とりかえしがつかなかったからです。 あくる日の昼ごろ、二郎は砂山へいって、昨日笛を吹いたところにきてみました。 するとそこには、いろいろの草が、一夜のうちに花を・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・いや、私のような平凡な男がどんな風に育ったかなどという話は、思えばどうでもいいことで、してみると、もうこれ以上話をしてみても始まらぬわけだと、今までの長話も後悔されてきます。しかし、それもお喋りな生れつきの身から出た錆、私としては早く天王寺・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・次の本屋へ行っては先刻の本屋で買わなかったことを後悔した。そんなことを繰り返しているうちに自分はかなり参って来た。郵便局で葉書を買って、家へ金の礼と友達へ無沙汰の詫を書く。机の前ではどうしても書けなかったのが割合すらすら書けた。 古本屋・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・「私も今一度で可いから是非お目にかかりたいと思いつづけては、彼晩の事を思い出して何度泣いたか知れません、……ほんとにお嫁になど行かないで兄さんや姉さんを手伝った方が如何なに可かったか今では真実に後悔していますのよ。」 大友は初めてお・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
出典:青空文庫