・・・しかし後期のものがすべての点において前期のものにまさっているとはいえない。ある時代には人性のある点は却って閑却され、それがさらに後にいたって、復活してくることは珍しくない。そしてその復活は元のままのくりかえしではなく必ず新しく止揚されて、現・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・に於ても明かに看取されるし、他の戦争以外のことを扱った小説でも、比較的後期の「竹の木戸」「二老人」等は別として、多くは支配的地位にある者に眼がむけられている。これが、自然主義作家でも田山花袋とは異なるところで、より多く、新興ブルジョアジーの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・それほどではなくてもまつ毛一本も見残さずかいた、金属製の顔にエナメルを塗ったような堅い堅い肖像よりは、後期印象派以後の妙な顔のほうが少なくもねらい所だけはほんとうであるまいかと思われてくる。この考えをだんだんに推し広げて行くと自然に立体派や・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・このような点はある支那人や現代二、三の日本画家の作品にも認められるのみならず、また西洋でも後期印象派の作などにおいて瞥見するところである。あるいは却って古代の宗教画などに見られて近代のアカデミー風の画には薬にしたくもないところである。ルーベ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・その他後期の画面にも使われている。 ロシアでは有名な血の日曜日の行われた一九〇五年に、ケーテの描いた「鍬を牽く人」などの扱い方もシムボリックなところがあってどこかムンクを思わせる。そして、このケーテの内部に交流しているシムボリックな傾向・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・男に岩野泡鳴はいたが、女にはそういう作家も出ず、自然主義の後期にそれが文学の上では日常茶飯の、やや瑣末主義的描写に陥った頃、リアリスティックな筆致で日常を描く一二の婦人作家を出したにすぎない。このことにも、日本の社会の特徴が、男と女とにどう・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・そこへふっさり幹を斜に空から後期印象派風の柳が豊富な葉を垂らし、快晴の午後二時頃人声もしないその小道を行くと、何と云おう――様々な緑、紅緑、黄緑、碧緑、優しい銀緑色の清純な馨ばしさ、重さ、燦めきが堆団となっていちどきに感覚へ溢れて来る。静け・・・ 宮本百合子 「わが五月」
出典:青空文庫