・・・どうか後生一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイ何とかの脚でもかまいません。少々くらい毛脛でも人間の脚ならば我慢しますから。」 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。「それはあるな・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「お前のお母さんなんぞは後生も好い方だし、――どうしてああ苦しむかね。」 二人はしばらく黙っていた。「みんなまだ起きていますか?」 慎太郎は父と向き合ったまま、黙っているのが苦しくなった。「叔母さんは寝ている。が、寝られ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・が、突然涙ぐんだ眼を挙げると、「あなた、後生ですから、御新造を捨てないで下さい。」と云った。 牧野は呆気にとられたのか、何とも答を返さなかった。「後生ですから、ねえ、あなた――」 お蓮は涙を隠すように、黒繻子の襟へ顎を埋めた・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ああ云う大嗔恚を起すようでは、現世利益はともかくも、後生往生は覚束ないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野とか王子とか、由緒のある神を拝むのではない。この島の火山には鎮・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 思案をするじゃが、短気な方へ向くめえよ、後生だから一番方角を暗剣殺に取違えねえようにの、何とか分別をつけさっせえ。 幸福と親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、私に辞儀も挨拶もいらねえからさっさと帰りね・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・「後生だから。」「はい、……あの、こうでございますか。」「上手だ。自分でも髪を結えるね。ああ、よく似合う。さあ、見て御覧。何だ、袖に映したって、映るものかね。ここは引汐か、水が動く。――こっちが可い。あの松影の澄んだ処が。」・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・外に姉さんも何も居ない、盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身の便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄すという趣。 判事に浮世ばなしを促された・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「よう、後生だから、一度だって私のいいなり次第になった事はないじゃありませんか。」「はいはい、今夜の処は御意次第。」 そこが地袋で、手が直ぐに、水仙が少しすがれて、摺って、危く落ちそうに縋ったのを、密と取ると、羽織の肩を媚かしく・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・「あれ、目の縁はまだしもよ、上は止して、後生だから。」「貴女の襟脚を剃ろうてんだ。何、こんなものぐらい。」「ああ、ああああ、ああーッ。」 と便所の裡で屋根へ投げた、筒抜けな大欠伸。「笑っちゃあ……不可い不可い。」「は・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ここは構わないで、湯にでも入ったら可かろうと、湯治の客には妙にそぐわない世辞を言うと、言に随いて、ではそうさして頂きます、後生ですわ、と膠もなく引退った。畳も急に暗くなって、客は胴震いをしたあとを呆気に取られた。 ……思えば、それも便宜・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
出典:青空文庫