・・・ さて一方文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・で前のを便宜のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけておきましょうが、この活力節約の行動はどんな場合に起るかと云えば現代の吾々が普通用いる義務という言葉を冠して形容すべき性質の刺戟に対して起るのであります。従来の徳・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・矛盾的自己同一的なる我々の自己の自覚の立場から、後者は外の方向へ、前者は内の方向へということができる。同じく形而上学的といっても、フィヒテ哲学とデカルト哲学とは相反する両方向に立つのである。矛盾的自己同一的なる、現実の自己の自覚の立場、即ち・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・フランス哲学の特色は後者にある。同じデカルトの流を汲んだ人でも、マールブランシュとスピノザとを比べて見れば、思半に過ぐるものがあるであろう。 元来芸術的と考えられるフランス人は感覚的なものによって思索するということができる。感覚的なもの・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・その句また 尾張より東武に下る時牡丹蘂深くわけ出る蜂の名残かな 芭蕉 桃隣新宅自画自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜 同等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて拙きものなり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ どちらが好いか悪いかと云う事は別として、どうしてそう云う気分になって来るかと云うと、前者は、美に対する執着なり要求が少ないので、後者になると、絶えず美に対する渇仰が心に湧いて居るのである。 美を要求すると云う事は、人性の自然だなど・・・ 宮本百合子 「雨滴」
・・・、封建的な自我の剥脱に抗する心持と、新しい社会的事情に向っての闘争の過程で自己を拡大するため、集団的、階級的な形態で自我が認識されなければならないという事実との間に、面倒な理解の混乱が生じ勝ちであり、後者に反撥して自我を主張することから、逆・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・前者は立体的清澄を後者は平面的清澄を尊ぶ。新感覚が清少納言に比較して野蛮人のごとく鈍重に感じられると云うことは、清少納言の官能が文明人のごとく象徴的混迷を以って進化することが不可能であったと感じられることと等しくなる。生活の感覚化・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・前者は自己を誇示して他人の前に優越を誇ります。後者は自己を鼓舞し激励するとともに、多くの悩み疲れた同胞を鼓舞し激励します。 あなたに愚痴をこぼしたあとでこんな事をいうのは少しおかしいかも知れません。しかし私はあなたに愚痴をこぼしている内・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・こういう方法を取るために田舎から出て来て東京をうろつくのが臣民として忠であるか、それとも落ち着いて自分の任務をつくすのが忠であるか、――もちろん後者であるに相違ない。 父のごとき志は、今の社会ではもはやそれを有効に充たす方法がないのであ・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫