・・・れの試みは当然失敗に終わることが明らかであるまでも、われわれはみじめな醜骸をさらして塹壕の埋め草になるに過ぎないまでも、これによって未来の連句への第一歩が踏み出されるのであったら、それはおそらく全くの徒労ではないであろうと信ずるのである。・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・考える事は徒労であるような気がしている。わたくしは老後の余生を偸むについては、唯世の風潮に従って、その日その日を送りすごして行けばよい。雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないように考えられている。この場合わが身一つの外に、三界の・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・これまた止むを得ざる次第なれども、兎に角に明治年間にこの文字を記して二氏を論評したる者ありといえば、また以て後世士人の風を維持することもあらんか、拙筆また徒労にあらざるなり。 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・の感覚が成長して、科学の面白さと美しさとの独自な本質の理解が私たちの生活にゆきわたって来るにつれて、ファーブルが、いわゆる文学的な表現にこって、昆虫に人間社会そっくりそのままの仮装をさせた努力をむしろ徒労として感じるようになって来ることは争・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・しかしながら、そういう意味での心理描写や、諷刺を幽鬼の街と村との内の世界に求めることは徒労である。むしろ、こういう作品との関係でその作家の生きつつある現実の生きようを見きわめようとするところに、血と肉のある現代人の知性が発揮されるのであろう・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
・・・折角の思いつきも右の始末ですが、今日手紙に書いたように、もし島田の人が本当に心配をするなら、二度目の速達の品を揃える時間はあったわけですから、すべてが徒労になったわけでもあるまいと思います。お母さんも薬のことはお喜びでお手紙がありましたから・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 一人一派的な文学上の独創性を求めて、同人雑誌によるとしても、徒労であるにすぎない。何故なら、こんにちわたしたちにとって最も重要なのは、戦後五年間の日本で、誰の目にもおおいがたくすりかえられて来た反民主的な諸力に対して、わたしたちの生活・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ただ、真剣に頭に血を上らせて詰め寄せたとても徒労に終る、徒に鋭く、細かく、頭を働かせて事象を描こうとしても、写るものは影ばかりだ。計らず、企らまず、対象に向ってあるがままの我を、底の底まで沈潜させる。極度の静謐、すっかり境界がぼやけ、あらゆ・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・しかしそれは皆徒労であった。 九郎右衛門は是非なく甥の事を思い棄てて、江戸へ立つ支度をした。路銀は使い果しても、用心金と衣類腰の物とには手は着けない。九郎右衛門は花色木綿の単物に茶小倉の帯を締め、紺麻絣の野羽織を着て、両刀を手挟んだ。持・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・原文とイギリス訳とを対照せられたのは決して、徒労ではなかった。五 私は自分の訳本ファウストについて、一度心の花に書いたことがある。その中に正誤表を作った事や、象嵌で版型を改めた事を言った。然るにその正誤表がまだ世間に行き渡っ・・・ 森鴎外 「不苦心談」
出典:青空文庫