・・・勿論、往復とも徒歩なんですから、帰途によろよろ目が眩んで、ちょうど、一つ橋を出ようとした時でした。午砲!――あの音で腰を抜いたんです。土を引掻いて起上がる始末で、人間もこうなると浅間しい。……行暮れた旅人が灯をたよるように、山賊の棲でも、い・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのが習であったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥海のようであるから、勤人が・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・そこで、讃歎すると、上流、五里七里の山奥から活のまま徒歩で運んで来る、山爺の一人なぞは、七十を越した、もう五十年余りの馴染だ、と女中が言った。してみると、おなじ獺でも山獺が持参するので、伝説は嘘でない。しかし、お町の――一説では、上流五里七・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・エクボは二つ、アバタは大勢、こりゃ何としてもアバタの勝じゃが、徒歩で行かずに飛んで行けと、許されたる飛行の術、使えば中仙道も一またぎ、はやなつかしい上田の天守閣、おお六文銭の旗印、あのヒラヒラとひるがえること、おお、このアバタの数ほども、首・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ 川向うの道を徒歩や車が通っていた。川添の公設市場。タールの樽が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・帰路は二組に分かれ一組は船で帰り、一組は陸を徒歩で帰ることにして、僕は叔父さんが離さないので陸を帰った。 陸の組は叔父さんと僕のほか、判事さんなど五人であった。うの字峠の坂道を来ると、判事さんが、ちょっと立ち止まって、渓流の岩の上に止ま・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・彼の中隊が、橇でなく徒歩でやって来ていたならば、彼も、今頃、どこで自分の骨を見も知らぬ犬にしゃぶられているか分らないのだ。 徒歩で深い雪の中へ行けば、それは、死に行くようなものだ。 彼等をシベリアへよこした者は、彼等が、×××餌食に・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・黒橇や、荷馬車や、徒歩の労働者が、きゅうに檻から放たれた家畜のように、自由に嬉々として、氷上を辷り、頻ぱんに対岸から対岸へ往き来した。「今日は! タワーリシチ! 演説を傍聴さしてもらうぞ」 支那人、朝鮮人たち、労働者が、サヴエート同・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ 年とった嫂だけは山駕籠、その他のものは皆徒歩で、それから一里ばかりある静かな山路を登った。路傍に咲く山つつじでも、菫でも、都会育ちの末子を楽しませた。登れば登るほど青く澄んだ山の空気が私たちの身に感じられて来た。旧い街道の跡が一筋目に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 老いたるカトンは、サルジニア総督時代には、徒歩で巡視をした。お供と云えば唯国の役人を一人つれたきりで、いや最も屡々、自分で行李を持って歩いた。彼は、一エキュ以上する着物を着たことがない、一日に一文以上市場に払ったことがない、と自慢した・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫