・・・「そこだよ、君に何処か知ら脱けてる――と云っては失敬だがね、それは君は自分に得意を感じて居る人間が、惨めな相手の一寸したことに対しても持ちたがる憤慨や暴慢というものがどんな程度のものだかということを了解していないからなんだよ。それに一体・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・画と数学となら、憚りながら誰でも来いなんて、自分も大に得意がっていたのである。しかし得意ということは多少競争を意味する。自分の画の好きなことは全く天性といっても可かろう、自分を独で置けば画ばかり書いていたものだ。 独で画を書いているとい・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ところが大哲学者もとより御人好の質なれば得意になッて鼻をクンクンいわせながら饒舌り出す。どうも凡人は困りますよ、社会を直線ずくめに仕たがるのには困るよ。チト宇宙の真理を見ればよいのサ。政事家は政事家で、自己の議論を実行して世界を画一のものに・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・女とわざと手を突いて言うを、ええその口がと畳叩いて小露をどうなさるとそもやわたしが馴れそめの始終を冒頭に置いての責道具ハテわけもない濡衣椀の白魚もむしって食うそれがし鰈たりとも骨湯は頂かぬと往時権現様得意の逃支度冗談ではござりませぬとその夜・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ そういう三郎は左を得意としていた。腕押しに、骨牌に、その晩は笑い声が尽きなかった。 翌日はもはや新しい柱時計が私たちの家の茶の間にかかっていなかった。次郎はそれを厚い紙箱に入れて、旅に提げて行かれるように荷造りした。 その時に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・と手に持った厚紙の蓋を鑵詰へ被せると、箱の中から板切れを出して、それを提げて、得意になって押入の前へ行く。「章ちゃん、もう夜はそんな押入なぞへはいるもんじゃないよ」と小母さんが止めると、「だってお母さん。写真を薬でよくするんじゃあり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのそ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・これに反して、同じ北斎が自分の得意の領分へはいると同じぎざぎざした線がそこではおのずからな諧調を奏してトレモロの響きをきくような感じを与えている。たとえば富岳三十六景の三島を見ても、なぜ富士の輪郭があのように鋸歯状になっていなければならない・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・しかし当局者はそのような不識庵流をやるにはあまりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。得意の章魚のように長い手足で、じいとからんで彼らをしめつける。彼らは今や堪えかねて鼠は虎に変じた。彼らの或者はもはや最後の手段に訴える外はないと覚悟し・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・郡の小学校が何十か集って、代表児童たちが得意の算盤とか、書き方とか、唱歌とか、お話とかをして、一番よく出来た学校へ郡視学というえらい役人から褒状が渡されるのだった。そのとき私たちは、林が英語の本を読み、私が通訳するということであった。 ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫