・・・出しゃばって歯の浮くような事をいいたがる連中が、あり余って困るほどある事を思返すと、先生はむしろ薄寒い妾宅の置炬燵にかじりついているのが、涙の出るほど嬉しく淋しく悲しく同時にまた何ともいえぬほど皮肉な得意を感ずるのであった。表の河岸通には日・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・おれだっておめえと同じ事だ。まずい商売だよ。競争者が多過ぎるのだ。お得意の方で、もう追っ附かなくなっている。おれなんぞはいろんな事をやってみた。恥かしくて人に手を出すことの出来ない奴の真似をして、上等の料理屋や旨い物店の硝子窓の外に立ってい・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・正に是れ好色男子得意の処にして、甚しきは妻妾一家に同居し、仮令い表面の虚偽にても其妻が妾を親しみ愛して、妻も子を産み、妾も子を産み、双方の中、至極睦じなど言う奇談あり。禽獣界の奇いよ/\奇なりと言う可し。本年春の頃或る米国の貴婦人が我国に来・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ピエエル・オオビュルナンは得意の作の中にこう書いた事がある。「女の手紙の意味は読んで知れるものでは無い。推測しなくてはならない。たいていわざと言わずにあるところに、本意は潜んでいるものである。」 マドレエヌの手紙の中で、一番注意してみな・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・などと大得意にしゃべって居る。その気障加減には自分ながら驚く。○僕は子供の時から手先が不器用であったから、画は好きでありながらそれを画く事は出来なかった。普通に子供の画く大将絵も画けなかった。この頃になって彩色の妙味を悟ったので、彩・・・ 正岡子規 「画」
・・・ ホモイは得意になって言いました。 「お母さん。僕はね、うまれつきあの貝の火と離れないようになってるんですよ。たとえ僕がどんな事をしたって、あの貝の火がどこかへ飛んで行くなんて、そんな事があるもんですか。それに僕毎日百ずつ息をかけて・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・とか、「我が身命を愛さず唯惜しむ無上道」とか、「得意淡然失意泰然」とかいう辞句は時利あらず、いかような羽目にたちいたろうともわがこころに愧じるところなく、確信ゆるがずという文句である。「あら尊と音なく散りし桜花」という東條英機の芭蕉もじりの・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・中にも弥一右衛門の二男弥五兵衛は鎗が得意で、又七郎も同じ技を嗜むところから、親しい中で広言をし合って、「お手前が上手でもそれがしにはかなうまい」、「いやそれがしがなんでお手前に負けよう」などと言っていた。 そこで先代の殿様の病中に、弥一・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・殊に彼はルイザを娶ってから彼に皇帝の重きを与えた彼の最も得意とする外征の手腕を、まだ一度も彼女に見せたことがなかった。 ナポレオン・ボナパルトのこの大遠征の規模作戦の雄大さは、彼の全生涯を通じて最も荘厳華麗を極めていた。彼は国内の三十万・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫