・・・それを越して霞ヶ関、日比谷、丸の内を見晴す景色と、芝公園の森に対して品川湾の一部と、また眼の下なる汐留の堀割から引続いて、お浜御殿の深い木立と城門の白壁を望む景色とは、季節や時間の工合によっては、随分見飽きないほどに美しい事がある。 遠・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・と云いながら白山御殿町の下宿を出る。 我からと惜気もなく咲いた彼岸桜に、いよいよ春が来たなと浮かれ出したのもわずか二三日の間である。今では桜自身さえ早待ったと後悔しているだろう。生温く帽を吹く風に、額際から煮染み出す膏と、粘り着く砂埃り・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・左れば今の女子を教うるに純然たる昔の御殿風を以てす可らざるは言うまでもなきことなれども、幼少の時より国字の手習、文章手紙の稽古は勿論、其外一切の教育法を文明日進の方針に仕向けて、物理、地理、歴史等の大概を学び、又家の事情の許す限りは外国の語・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・節になって来たある公爵だかと、計らず雪の狩猟の山小舎で落ち合い、クリスチナが男の服装なのではじめ青年と思い一部屋に泊り、三日三晩くらすうちクリスチナが女であることがわかり互に心をひきつけられて別れる。御殿へ出て、はじめてクリスチナの身分がわ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 朝 彼等の小窓に 泡立つレースのカーテンが 御殿のように風に戦いで 膨らんだ。〔一九二四年六月〕 宮本百合子 「心の飛沫」
・・・と田村の独善的な自己肯定にふれるならば、田村泰次郎一派の人々のいくらか文壇たぬき御殿めいた生きかたそのものや、そのことにおいていわれている文学的意図は、はったりに堕している事実や一方で彼がファシズムに反対し平和を守る側に立っていることでは大・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 柳原子氏は何のために伊藤伝右衛門の赤銅御殿をすてたのであったろうか。歌集『几帳のかげ』に盛られた女の憤りはどういうものであったのであろうか。宮崎龍介の妻として納り、今日その日その日をどうやら外見上平穏に過しておられるようになってしまえ・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・弥一右衛門は以前から人に用事のほかの話をしかけられたことは少かったが、五月七日からこっちは、御殿の詰所に出ていてみても、一層寂しい。それに相役が自分の顔を見ぬようにして見るのがわかる。そっと横から見たり、背後から見たりするのがわかる。不快で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・荷物が来てから間もなく、誰が言い出したか、あの婆あさんは御殿女中をしたものだと云う噂が、近所に広まった。 二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・何か仔細の有そうな様子でしたが問返しもせず、徳蔵おじに連られるまま、ふたりともだんまりで遠くもない御殿の方へ出掛て行ましたが、通って行く林の中は寂くッて、ふたりの足音が気味わるく林響に響くばかりでした。やがて薄暗いような大きい御殿へ来て、辺・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫