・・・ 亜米利加人は煙草を啣えたなり、狡猾そうな微笑を浮べました。「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽ちの内に、大金儲けが出来るからね」「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・甚太夫の顔には微笑が浮んだ。それと同時に窶れた頬へ、冷たく涙の痕が見えた。「兵衛――兵衛は冥加な奴でござる。」――甚太夫は口惜しそうに呟いたまま、蘭袋に礼を云うつもりか、床の上へ乱れた頭を垂れた。そうしてついに空しくなった。…… 寛文十・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・監督も懐旧の情を催すらしく、人のいい微笑を口のはたに浮かべて、「ほんとにそうでした」 と気のなさそうな合槌を打っていた。 そのうちに夜はいいかげん更けてしまった。監督が膳を引いてしまうと、気まずい二人が残った。しかし父のほうは少・・・ 有島武郎 「親子」
・・・彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ ときに予と相目して、脣辺に微笑を浮かべたる医学士は、両手を組みてややあおむけに椅子に凭れり。今にはじめぬことながら、ほとんどわが国の上流社会全体の喜憂に関すべき、この大いなる責任を荷える身の、あたかも晩餐の筵に望みたるごとく、平然とし・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・かれはいかに予を観察して先生というのか、予は思わず微笑した。かれは、なおかわいらしき笑いを顔にたたえて話をはじめたのである。「先生さまなどにゃおかしゅうござりましょうが、いま先生が水が黒いとおっしゃりますから、わし子どものときから聞いて・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・と、友人は微笑しながら、「まア、もッとお飲み。」傾けた徳利の酒が不足であったので、「おい、お銚子」と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・この向島名物の一つに数えられた大伽藍が松雲和尚の刻んだ捻華微笑の本尊や鉄牛血書の経巻やその他の寺宝と共に尽く灰となってしまったが、この門前の椿岳旧棲の梵雲庵もまた劫火に亡び玄関の正面の梵字の円い額も左右の柱の「能発一念喜愛心」及び「不断煩悩・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰り来りしときに、ダルガス一人はその面に微笑を湛えその首に希望の春を戴きました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。「まことにしかり」とダルガスは答えました。「しか・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ この知らぬ少年は、その往来をすぎるときに、ちょっと太郎の方をむいて微笑しました。ちょうど知った友だちにむかってするように、なつかしげに見えました。二 輪をまわして行く少年のすがたは、やがて白い道の方に消えてしまいました・・・ 小川未明 「金の輪」
出典:青空文庫