・・・新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心境にどれだけの扞格があるだろうか。淫売屋から出てくる自然主義者の顔と女郎屋から出てくる芸術至上主義者の顔とその表れている醜悪の表情に何らかの高下があるだろうか。すこし例は違うが、小説「放・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・とあるは二葉亭のこの間の芸に魅入られた心境を説明しておる。だが、こういうと馬鹿に難かしく面倒臭くなるが、畢竟は二葉亭の頭の隅のドコかに江戸ッ子特有の廃頽気分が潜在して、同じデカダンの産物であるこういう俗曲に共鳴したのであろう。これを日本国民・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかし「スタンダールやバルザックの文学は結局こしらえものであり、心境小説としての日本の私小説こそ純粋小説であり、詩と共に本格小説の上位に立つものである」という定説が権威を持っている文壇の偏見は私を毒し、それに、翻訳の文章を読んだだけでは日本・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・もののあわれへのノスタルジアや、いわゆる心境小説としての私小説へのノスタルジアに憧れている限り文壇進歩党ははびこるばかりである。といって、自分たちの文学運動にただ「民主主義」の四字を冠しただけで満足しているような文壇社会党乃至文壇共産党の文・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・深い心境を経験しないですますことは、歓楽を逃がすより、人生において、より惜しいことだからだ。そして夫婦別れごとに金のからんだ訴訟沙汰になるのは、われわれ東洋人にはどうも醜い気がする。何故ならそれだと夫婦生活の黄金時代にあったときにも、その誓・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 彼はこの断言の時の心境を述懐して、「日蓮が申したるには非ず、只ひとへに釈迦如来の御神我身に入りかはせ給ひけるにや。我身ながら悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」と書いている。かような宗教経験の特異な事実は、客観・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・自分のうけているこの一個のいのちがこの宇宙とひとつに帰して、もはや生きるもよし、死ぬるもよしという心境に落ち着くところにあるのだ。それは人間にとって、女にとっても男にとっても第一義の問題である。宗教がなくてもいいということが理不尽なのは、こ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・たとえば、その書簡の封を開くと、その中からは意外な悲しいことや煩わしいことが現われようとも、それは第二段の事で、差当っては長閑な日に友人の手紙、それが心境に投げられた恵光で無いことは無い。 見るとその三四の郵便物の中の一番上になっている・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・暫く病んでいた後で、北村君が自殺を企てた当時の心境は、私は『春』の中でいくらか辿って見た。それを家の人に見付かって、病院へ送られて、兎に角傷は癒った。細君も心配して、も一度芝公園の家を借りて、それには友達ながらも種々心配して呉た人があって、・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 沈鬱な心境を辿りながら、彼は飯田町六丁目の家の方へ帰って行った。途々友達のことが胸に浮ぶ。確に老けた。朝に晩に逢う人は、あたかも住慣れた町を眺めるように、近過ぎて反って何の新しい感想も起らないが、稀に面を合せた友達を見ると、実に、驚く・・・ 島崎藤村 「並木」
出典:青空文庫