・・・私はまだお前に欺される程、耄碌はしていない心算だよ。早速お前を父親へ返せ――警察の御役人じゃあるまいし、アグニの神がそんなことを御言いつけになってたまるものか」 婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・するとすぐ隣の桝に派手な縞の背広を着た若い男がいて、これも勝美夫人の会釈の相手をさがす心算だったのでしょう。においの高い巻煙草を啣えながら、じろじろ私たちの方を窺っていたのと、ぴったり視線が出会いました。私はその浅黒い顔に何か不快な特色を見・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・その内に祖母は病気の孫がすやすや眠り出したのを見て、自分も連夜の看病疲れをしばらく休める心算だったのでしょう。病間の隣へ床をとらせて、珍らしくそこへ横になりました。 その時お栄は御弾きをしながら、祖母の枕もとに坐っていましたが、隠居は精・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・一体どこへお出でになる御心算か知りませんが、この船がゾイリアの港へ寄港するのは、余程前からの慣例ですぜ。」 僕は当惑した。考えて見ると、何のためにこの船に乗っているのか、それさえもわからない。まして、ゾイリアなどと云う名前は、未嘗、一度・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・が、今度は自分の級の英語の秀才が、度の強い近眼鏡をかけ直すと、年に似合わずませた調子で、「でも先生、僕たちは大抵専門学校の入学試験を受ける心算なんですから、出来る上にも出来る先生に教えて頂きたいと思っているんです。」と、抗弁した。が、丹・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・と云う男は、平常私の所へ出入をする、日本橋辺のある出版書肆の若主人で、ふだんは用談さえすませてしまうと、そうそう帰ってしまうのですが、ちょうどその夜は日の暮からさっと一雨かかったので、始は雨止みを待つ心算ででも、いつになく腰を落着けたのでし・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・の後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算だから、どうか安心していてくれい。』・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・勿論お作は、誰よりも熱心に愛読します心算、もう一言。――君に黄昏が来はじめたのだ……君は稲妻を弄んだ。あまり深く太陽を見つめすぎた。それではたまらない……めくら草紙の作者に、この言葉あてはまるや否や、――ストリンドベルグの『ダマスクスへ』よ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・もともと実験の教授というものは、軍隊の教練や昔の漢学者の経書の講義などのように高圧的にするべきものではなく、教員はただ生徒の主動的経験を適当に指導し、あるいは生徒と共同して新しい経験をするような心算ですべきものと思う。簡単な実験でも何遍も繰・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・ 実際自分がツルゲーネフを翻訳する時は、力めて其の詩想を忘れず、真に自分自身其の詩想に同化してやる心算であったのだが、どうも旨く成功しなかった。成功しなかったとは云え、標準は矢張り其処にあったのである。但だ、自分が其の間に種々と考えて見・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
出典:青空文庫