・・・実に小説が読みたい。志賀直哉全集は大きい活字ですから今に読み始めるにはいいけれど、心持とはあまり遠くて。今はカロッサの「医師ギオン」を読もうと思います。一九三九年の写真では、カロッサは猫のようなものを手に抱いて、一寸下目になって額に横じわを・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・けれどもこの経験は、日本の社会の現実認識の方法と文学評価が、全体として志賀直哉の文学を卒業した、という事実を語ることでないのは明らかである。「アンナ・カレーニナ」の悲劇がほんとうに卒業された文学になった、ということは、その社会に新しい人間性・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・の前にある近代古典と云うべき作品の多くはこれらの時期に書かれたものであるし、古典的な権威として今日或る意味で価値ある文学上の存在をつづけている作家たち、例えば島崎藤村、徳田秋声、谷崎潤一郎、永井荷風、志賀直哉、武者小路実篤等は、いずれもこの・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・というものが近代日本文学にあっては、現在志賀直哉氏の文学にその完成を示しているところの純粋小説であるとし、日本に於てはプロレタリア文学の理論が、「文学における思想の優位を主張」する時代になってはじめて「私」と社会との対立が問題となって西欧の・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・のなかで、著者はこの問題において、志賀直哉氏の言葉と横光利一氏の言葉を何と適切に対比して、批評していることだろう。 志賀直哉氏は「テーマがあってもモチーフが自分の中に起ってくれなけりゃ書けない」という態度である。横光利一氏はそれに対して・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・ 現実は批判する 志賀直哉氏の昔の小説に「范の犯罪」という題の作品がある。これは范という支那の剣つかいの芸人が、過って妻を芸の間で殺し、過失と判定されるのであるが、妻を嫉妬し、憎悪が内心に潜んでいた自覚から、法・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・「大衆の批判というものがどんなものか、我国の場合で考えても、志賀直哉と吉川英治を国民大衆の討議にかければ、後者が選ばれること論をまたない」と。 小原壮助が、社会機構や生活感情のすべての、まるでちがう「我国の場合」を躊躇なく例としてひいて・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・従来の文学的領野に於ては、依然として志賀直哉が主観的なリアリズムの完成をもって一つの典型をなしており、新しい作家たちが若しその道へ進むとして、志賀直哉を凌駕する希望というものは抱きにくい状態であったし、かつてバーナアド・ショウやゴルスワージ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・及び芭蕉の諸作や志賀直哉氏の一二の作に於けるが如く、またニイチェの「ツァラツストラ」に於けるが如し。此の故に一つの批評にして、もしその批評が深き洞察と認識とを以ってわれわれを教養するならば、それは作物のみとは限らず批評それ自身作物となって高・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ 食事をしながら、漱石は志賀直哉君の噂をした。確かそのころ、漱石は志賀君に『朝日新聞』へ続きものを書くことを頼んだのであったが、志賀君は、気が進まなかったのだったか、あるいは取りかかってみて思うように行かなかったのだったか、とにかくそれ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫