・・・これら座右の乱帙中に風俗画報社の明治三十一年に刊行した『新撰東京名所図会』なるものがあるが、この書はその考証の洽博にして記事もまた忠実なること、能く古今にわたって向島の状況を知らしむるものである。明治三十一年の頃には向島の地はなお全く幽雅の・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・彼等の中で、比較的忠実に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将として、白樺派の人々が崇拝・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・主人の方こそ却て苦労多かる可し、下女下男にも人物様々、時としては忠実至極の者なきに非ざれども、是れは別段のことゝして、本来彼等が無資産無教育なる故にこそ人の家に雇わるゝことなれば、主人たる者は其人物如何に拘らず能く之を教え之を馴らし、唯親切・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・にしようという苦心までした。今考えると随分馬鹿げた話さ。併し斯う云って来ると、一図に「正直」に忠実だったようだが、一方には実は大矛盾があったんだ。即ち大名誉心さ。……文壇の覇権手に唾して取るべしなぞと意気込んでね……いやはや、陋態を極めて居・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ツルゲーネフはツルゲーネフ、ゴルキーはゴルキーと、各別にその詩想を会得して、厳しく云えば、行住座臥、心身を原作者の儘にして、忠実に其の詩想を移す位でなければならぬ。是れ実に翻訳における根本的必要条件である。 今、実例をツルゲーネフに取っ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・余をして汝の卑きながら忠実なる僕たらしめ給へ。若輩は徒事に趨るもの多し。願くば余を其道より引き戻し給へ。余は彼女を恋せず。彼女は依然として余の愛らしき妹なり。愚者よ何の涙ぞ。」「頭痛堪へ難し。今日又余は彼女に遭ひぬ。然り彼女と共に上野を・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・ めっきり気やかましくなった栄蔵に対してお節は実に忠実に親切にした。 こう云うのも病気のため、ああ怒るのも痛みのため、お節の日々は、涙と歎息と、信心ばかりであった。 気の荒くなった栄蔵は、要領を得ない医者に口論を吹かける事がある・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋には、いつも侍が二人ずつ泊ることになっていた。然るに天保四年癸巳の歳十二月二十六日の卯の刻過の事である。当年五十五歳になる、大金奉行山本・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・平安朝の大和画家は当時の風俗の忠実な描写をやった。しかもミケランジェロは今の洋画の祖先として似つかわしく、大和画家もまた今の日本画の祖先として似つかわしい。今洋画家が想像画を描くことは必ずしも邪道でなく、日本画家が写生画を描くこともまた必ず・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・氏が『竹取物語』のごとき邪路に入らずに、ますます自己に忠実な画の製作に努められんことを祈る。 例外の二は川端龍子氏の『土』である。日本絵の具をもって西洋画のごとき写実ができないはずはない――この事実を氏は実証しようとしているかに見える。・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫