・・・この人達の、質実、素朴な生活の有様を、今から思い起すと、何となしになつかしい気がするばかりでなく、そこにのみ本当の生活があったような気さえされるのである。 もし、人々がすべてかくのごとく、自から耕し、自から織り、それによって生活すべく信・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むのはこの類の事です、そして私は「縁が薄い」という言葉の悲哀を、つくづく身に感じます。 ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に会いました・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 自分は今ワイ河畔の詩を読んで、端なく思い起こすは実にこの一年間の生活及び佐伯の風光である。かの地において自分は教師というよりもむしろ生徒であった、ウォーズウォルスの詩想に導かれて自然を学ぶところの生徒であった。なるほど七年は経過した。・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ その夜二人で薄い布団にいっしょに寝て、夜の更けるのも知らず、小さな豆ランプのおぼつかない光の下で、故郷のことやほかの友の上のことや、将来の望みを語りあったことは僕今でも思い起こすと、楽しい懐しいその夜の様が眼の先に浮かんでくる。 ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・詩人はこの夢を思い起こすや、跳ね起きて東雲の空ようやく白きに、独り家を出で丘に登りぬ。西の空うち見やれば二つの小さき星、ひくく地にたれて薄き光を放てり、しばらくして東の空金色に染まり、かの星の光自から消えて、地平線の上に現われし連山の影黛の・・・ 国木田独歩 「星」
・・・ ここでわれわれは俳諧という言葉の起原に関する古人の論議を思い起こす。誹諧また俳諧は滑稽諧謔の意味だと言われていても、その滑稽が何物であるかがなかなかわかりにくい。古今集の誹諧哥が何ゆえに誹諧であるか、誹諧の連歌が正常の連歌とどう違うか・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ウィリアムが吾に醒めた時の心が水の如く涼しかっただけ、今思い起すかれこれも送迎に遑なきまで、糸と乱れてその頭を悩ましている。出陣、帆柱の旗、戦……と順を立てて排列して見る。皆事実としか思われぬ。「その次に」と頭の奧を探るとぺらぺらと黄色なが・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 今、その時分のことを思い起すと、私は実にしんしんたる興味を覚える。当時の情勢を背景としてついにもだすにたえなかった非力な私自身の姿や、また、自身のプロレタリア作家としての階級的な不安や動揺のすべてを私に対する罵倒の中で燃しつくそうとで・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
・・・ 私達はここで一つの意味ふかい手紙の数行を思い起すのである。一九三三年一月に蔵原惟人が獄中から或る友人に宛てて書いた手紙の中にバルザックのことがトルストイとの対比においてふれられている箇所がある。すでにその時分、プロレタリア作家の一部に・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・今でも自分は昨日のことのように思い起こすことができる。シナの玉についての講義の時に、先生は玉の味が単に色や形にはなくして触覚にあることを説こうとして、適当な言葉が見つからないかのように、ただ無言で右手をあげて、人さし指と中指とを親指に擦りつ・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
出典:青空文庫